2016年6月28日火曜日

ローマは一日にして成らず「自己鍛練に困難はつきもの」

誰も一夜にして肉体を鍛えようなどとは思わないだろう。それなのに、こと精神に関しては、すぐにも効果があらわれるのが当然と考える人が多いようだ。


今までとは違った心の動きを学ぶにも、一度試してみただけで即座に身につけられるものと思われがちだ。

神経症とは無縁の満ち足りた心、自分の選択をコントロールする能力、そしてそこから生み出される現在の幸福を本当に勝ち得たいと望むなら、今までに身についてしまったことにしがみついていてはいけない。

自分を駄目にする考えを捨て去るという難題に、断固として取り組まなければならない。

そのためには、自分の心はまちがいなく自分のものであり、自分の感情は自分でコントロールできると絶えず心の中でくりかえす必要がある。

自分には選ぶことができる。今を享受するのは自分自身であり、自主的に生きようという決意さえあれば、それは可能なのだ、と』(ウエイン・ダイアー『自分ための人生』)



ゴルフ、野球、サッカー。あるいは剣道、柔道、馬術など。ほかの何のスポーツでもよいが、上手になろうとすれば、それなりの訓練がいる。

一度、二度の練習で人並みのレベルに到達できると考えるような人は、いないであろう。

ところが、こと精神にかんすること。自分の頭を使って行うことについて、我々は安易に考えすぎていないだろうか。

数学の複雑な微分方程式を解くようなことは別としても、本を読むというような単純なことでも、毎日の習慣とするまでには相当な努力がいる。

また、将棋や囲碁といったゲームでも、同じである。
ルールを覚え、他人と対戦して勝てるようになるまでには、それなりの修練を積む必要がある。


そうであるのに、
「腹を立てないようにする」
「イライしたりしない」
「人のすることに、いちいち文句をつけない」
「つまらない、どうでもよいような事にこだわらない」というような、自分の感情をコントロールするといったことについては、簡単にできると考えている。

しかし、こと人の心や精神に関することこそ、スポーツやゲームなどよりも遙かに厳しい訓練がいる。そして、それは自分の人格の完成を目指して行われるのであるから、「これでいい」という限界がない。

生きている限りは。

(2016年6月28日)


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