2016年6月17日金曜日

人を文化系と理科系に分けることは教育の否定につながる

《歴史は誰でも勉強します。地理も勉強する。同じように科学を勉強すべきです。科学という言葉が悪ければ、論理学でもいいから、それをきちっと勉強した方がいい。》


(糸川英夫氏『21世紀への遺言』)

糸川氏は続けて書いておられます。

私は文化系と理科系というふうに教育を分けることに
非常に疑問をもっています。

何も人種を文化系の人間と理科系の人間に
大別する必要は毛頭ない。

両方やったらいい。
その上で、生涯に自身のやりたい仕事を
決めたらいい。

ある時期、理科系の仕事をやりたかったらやったらいいし、
それから文化系の仕事をやりたくなったらやったらいい。



私は以前から、文化系、理科系というふうに
分けることに、糸川博士と同じように
疑問に感じていました。

「リケジョ」なる言葉にも、非常な違和感をもっていました。

そういう言葉を大手マスコミが使うことに対しても、
強く反対したいと思っています。

今、騒がれている、「ヘイトスピーチ」に関しても、
その根源にはこの、人(ひと)を「2種類の人間に分ける」
という基本思想(考え方)が潜んでいると考えます。

人間をそんな風に、単純に分けて考えること自体が、
間違いである。

そんな風に、二元論的 に、単純に人間としての資質を
分けて考えることに、異議を唱えたい。

大袈裟ないい方かも知れませんが、
そういうことをするのは人類に対する冒涜である。

そう思います。

(2016年6月17日)


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