何故、何事も申し分なくやらなければならないのだろうか。あなたに誰かが点数をつけているのだろうか、とウエイン・ダイアーは言う。彼は、すべてにベストを尽くす必要はないとのべ、次のように書いている。
『完全主義のおかけで、やってみれば楽しいかもしれない活動もせず、腕をこまねいていてはならない。
「何事にもベストを尽くせ」を「自分にとって大切なことを選び、それは一生懸命にやりなさい。他のことはただやるだけでいい」に変えてみることだ。
ベストを尽くさなくてもかまわないのだ。
事実「ベストを尽くせ症候群」はどれもこれも誤った考え方である。あなただけでなく人間は誰だって、完璧にベストを尽くしてなどいないのだから。』
★
人間は誰しも、完璧にベストを尽くしている訳ではない。そもそも、そんなことは出来ることではないだろう。
そんな気持ちで毎日を過ごしていたら、「息が詰まってしまう」だろう。
ところが、我々は自分にも、自分の子どもたちにも、友人、隣人にさえも「ベストをつくせ」と「命令」する。
ベストを尽くさない者は、まるで人間ではないかのように。そうすることが、あたかも当然のごとくに。
特に子どもたちに対しては、勉強であれ、習い事であれ、スポーツであれ、常に「ベストを尽くす」ことを、要求する。
「ベストを尽くさない」と、ほめてもらえない。
もし、それが当人にとって、「是非、やりたいこと」であり「自分が挑戦してみたい」ことなら、声援を送るのもよい。
そうでなく、「嫌なこと」「したくないこと」であったとしたら、当人にとっては、苦痛でしかない。
そんなことにどうしてベストを尽くす事が出来るだろうか。
このことは、自分自身に対しても、同じことである。
人間には、時には「気晴らし」が必要だ。のんびりとくつろぐ時間を持つことも、大切だ。何事も人生は、選択である。
そうでないと、いつも「引っ張りどおし」のゴムひもと同じで、元に戻らないようになってしまう。
「引っ張り」すぎず「ゆるめ」すぎず、の状態に保つのがよい。
「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」なのである。
(2016年6月29日)
『完全主義のおかけで、やってみれば楽しいかもしれない活動もせず、腕をこまねいていてはならない。
「何事にもベストを尽くせ」を「自分にとって大切なことを選び、それは一生懸命にやりなさい。他のことはただやるだけでいい」に変えてみることだ。
ベストを尽くさなくてもかまわないのだ。
事実「ベストを尽くせ症候群」はどれもこれも誤った考え方である。あなただけでなく人間は誰だって、完璧にベストを尽くしてなどいないのだから。』
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人間は誰しも、完璧にベストを尽くしている訳ではない。そもそも、そんなことは出来ることではないだろう。
そんな気持ちで毎日を過ごしていたら、「息が詰まってしまう」だろう。
ところが、我々は自分にも、自分の子どもたちにも、友人、隣人にさえも「ベストをつくせ」と「命令」する。
ベストを尽くさない者は、まるで人間ではないかのように。そうすることが、あたかも当然のごとくに。
特に子どもたちに対しては、勉強であれ、習い事であれ、スポーツであれ、常に「ベストを尽くす」ことを、要求する。
「ベストを尽くさない」と、ほめてもらえない。
もし、それが当人にとって、「是非、やりたいこと」であり「自分が挑戦してみたい」ことなら、声援を送るのもよい。
そうでなく、「嫌なこと」「したくないこと」であったとしたら、当人にとっては、苦痛でしかない。
そんなことにどうしてベストを尽くす事が出来るだろうか。
このことは、自分自身に対しても、同じことである。
人間には、時には「気晴らし」が必要だ。のんびりとくつろぐ時間を持つことも、大切だ。何事も人生は、選択である。
そうでないと、いつも「引っ張りどおし」のゴムひもと同じで、元に戻らないようになってしまう。
「引っ張り」すぎず「ゆるめ」すぎず、の状態に保つのがよい。
「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」なのである。
(2016年6月29日)
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