2013年8月25日日曜日

集団的自衛権の行使について考える(1)国連とは何か

日頃の「ニュースどんでん返し」では、記事の長さを考慮するあまり、どうしても記事の内容に不十分な所があります。
それでこの号より日頃のニュースを離れて、大局的な視点からの記事を掲載していきます。


日頃のニュースの中では充分に論じることが出来ていない所を補うという意味で、━━定期的に出せるかどうかは分りませんが━━物事の本質的な点について、述べてみたいと思います。

そのことで、川の表面の状態(現象的な面)を観るだけでなく、底に流れている(本質的な面)を診る訓練が出来ればと思います。
これはいわば、「夢洛堂」にとっての自己教育であると言う方が、適切であるのかもしれません。


今回はその第1回目として、今、マスコミやネットなどで、盛んに報じられるようになった「集団的自衛権の行使の容認」に関することについて、取り上げたいと思います。


① 「国際連合」とは何か。

②「安保条約」とは何か。

③「集団的自衛権の行使と「安保条約」との関係について。

という順で、検討を加えていきたいと思います。
少し長くなるかもしれませんが、おつきあいください。
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① 「国際連合」とは何か。(以後単に「国連」と書きます。)

国連の正体とはなにか。
そのことを明らかにするためには、国連の誕生の経緯を知ることが一番です。

国連誕生の経緯は、いかなるものであしょうか。
国連は何ゆえに生まれたのでしょうか。

国連憲章が出来て締結されたのは、1945年6月16日のことです。
50か国が参加し、第二次大戦後に、発効されました。

この時点においては、すでに連合国に対して、イタリアもドイツも降伏していました。連合国と戦っていたのは、日本だけでした。

沖縄戦は、まだ終結していませんでした。
またこの頃から、日本の本土においても、米軍の空襲が激しさを増すようになります。

そして、8月6日の広島への原爆投下が実施されます。
さらに、長崎と続きます。

だから、国連憲章は、「日本に対してのものであった」、と言っていいと思います。

国連は、日本に対する連合国どうしの同盟であった。
まず、この事が非常に重要な点だと思います。

この事を明確にしておかないと、国連の性格を見誤ることになります。

つぎに、では国連憲章は、何を約束するものであったのでしょう。
これが問題です。

国連憲章は、第2条において、「国際の安全、維持、回復に必要な時には、海軍・空軍・陸軍の行動を取ることができる」と明記していることから、国連が軍事同盟であることが、分ります。

しかも、第53条第2項には、「第二次大戦中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される」という文章が入っています。

すでに述べたように、この憲章が締結された時点において、憲章締結国の敵国であったのは、日本だけです。

ですからこの憲章が言う敵国とは、日本のことにほかなりません。日本以外ではありえないことなのです。

それが証拠に(驚くべきことですが)、1955年にはイタリアも加盟しています。連合国と戦っている国が加盟することはありえないことですから、イタリアは、敵国ではないということになります。

さらに第107条━━原文の表現は非常に複雑ですが、要するに━━では、国連は日本に対する戦勝国の戦後処理については干渉しない、となっており、ここにも「敵国条項」があります。

いずれにせよ、国連は、何よりもまず、軍事同盟として、出発したものである。この事を理解することが、国連とは何かを理解するうえで、決定的に重要です。

さて、その次の年の1956年に、日本の加盟が許されます。
では、この事をどう解釈すればいいのでしょうか。

本来日本に対抗するために結ばれた連合憲章を、その日本が批准するということは、どういうことなのでしょうか。

この事はどう考えてみても、国連憲章の精神に背くものであると言わざるを得ません。本来ありえることではありません。「国連のジレンマ」と言っていいでしょう。

日本政府はこの事を誰よりもよくわかっており、何度も国連に対して、この「敵国条例」を外すように働きかけていますが、今もって、憲章から削除されていません。

ですから日本は、今もって「国連の敵国」なのです。

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さて国連の仕事はいろいろありますが、その一つのPKO(国連平和維持活動)についてみていきます。

そうすれば国連の性格が一層はっきりとすると思うからです。
そのPKOの活動の代表的な例が、1993年のソマリア戦争です。

この戦争こそが国連の性格をもっともよく表しています。
ところで、国連平和維持活動は、Peace keeping Operationsで、「活動」ではなく「作戦」と訳した方がその性格がはっきりとします。

「国連平和維持活動」とは、「平和維持作戦」なのです。
これは明確な、軍事作戦であるのです。

国連憲章は、国際の平和と安全を、平和的に解決できないときは、安全保障理事会が認めれば、軍事力を使用する事を認めています。(第42条)

その軍事力を持って行われるのが、PKF(国連平和維持軍)による戦争行為です。

この事が、はっきりと示されたのが、ソマリア戦争です。
ソマリア内戦に関与する中で行われた、作戦です。

モハメッド・ファッラ・アイディード将軍を捉えるために、ロケット砲や、105ミリ銃砲付きの対地攻撃機AC130で、「平和維持作戦」を始めたのでした。

このような武器を使っての攻撃を、軍事作戦と言わずして、他に何と言い表すことができるでしょうか。

この攻撃は4時間に渡って行われました。それがどれほどの破壊行為であったかは、想像がつきます。これは戦争に相違ありません。

この語映画などで有名になった、モガディシュの戦闘などがあり、平和維持軍は、ソマリアからでて行くことになります

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戦争を仲裁するには戦争をもってするしかないのです。
戦争は、前線部隊、補給部隊、衛生部隊、後方部隊などがあります。

日本は、なんのかんのと理由をつけて、国連によるカンボジアの「平和維持作戦」を支援するために、自衛隊を出しました。

後方支援なら問題がないなどの理由をつけて。しかし後方支援は明確に戦闘行為です。

これは太平洋戦争の時に、アメリカ軍による日本本土の空襲の理由づけにも使用された論理でした。

カーティス、ルメイは、日本では、家庭が武器の製造現場になっているから、市街地を空襲することは許される、という理屈を立てたのでした。

だから後方支援だから、戦争行為には当たらないなどという論理は通じないのです。日本の自衛隊は、もうすでに、集団的自衛権の発動の経験があるのです。(この点は③でもう一度取り上げます)

今頃になって、集団的自衛権がどうのこうのと言っていること自体が、ナンセンスな事なのです。

(長くなりました。この辺で止めて,②は次週の日曜日に回します。)

          ≪参考文献≫

『自ら国をつぶすのか』     小室直樹、渡部昇一 共著  徳間書店刊

(2013年8月25日)