2013年8月25日日曜日

小松長官の「集団的自衛権の行使の容認」についての談話は、妥当だ

至極まともな判断だ。今度内閣法制局長官に就任した小松長官のことである。
8月24日に東京新聞が伝えた


【小松一郎内閣法制局長官(62)は二十三日、本紙のインタビューで、安倍晋三首相が意欲を見せる集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の見直しについて、内閣法制局は法的な助言をするだけで、首相の判断を尊重する考えを示した。「従来の憲法解釈では容認は難しい」と明言した前任者の山本庸幸(つねゆき)氏(現最高裁判事)との考え方の違いが鮮明になった。小松氏は「内閣法制局が内閣の意思に反して最終決定権限を持っているかのように誤解されている」と指摘。「憲法解釈を最終的に決めるのは内閣の仕事だ」と述べた。】

小松長官が言うように「内閣法制局は法的な助言をするだけ」と言うのは、その通りである。内閣法制局が、内閣の一機関である以上は、内閣の意思に反することが出来ないのは、当然のことであろう。

それは今回の安倍総理による長官の更迭が、示すところである。

【さらに「内閣法制局の任務を定めた法律には『法の番人』とは書かれていない。法制局の役割は内閣、首相、各大臣に意見を述べることと、法律に明記されている」と強調。「政府の憲法解釈の
番人」として、時の政権から距離を置き、客観的な見解を示すことに消極的な姿勢を示した。】

「法の番人」は、裁判所であり、小松市の言われるとおりである。あたかも、「法の番人」「憲法解釈の番人」であるかのように言うのは、マスコミが勝手に作り上げた幻想だ。内閣法制局に対する誤解だ。
何度も言うが、内閣法制局はあくまでも政府内の一機関である。
マスコミは、二枚舌、三枚舌で、ことの本質を誤魔化そうとしている。これはその典型的な例だ。批判を避けてか、今度は政府の憲法解釈の番人」と言う言葉を使いだした。

【集団的自衛権の行使容認に向けた政府内の議論についても「首相の積極的平和主義という基本的な問題意識に沿った形で、法的問題について適切に意見を申し上げていく」と、積極的に関与していく考えを示した。】
内閣の助言者としての当然の行いである。

政府内の議論を、政府内の組織の中で行うのは、至極まっとうなことである。
ただそれはあくまでも政府内のことであると言う点を、越えなければの話である。

国会が決めたことを実行する、執行機関としての内閣の枠内においてのことである。憲法が予定している範囲内においてのことである。

その範囲内において議論することはなんら差し障りはない。
むしろしっかりと議論して、内閣の役目を果たしてもらいたい。

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それにしても、今頃集団的自衛権の行使が問題になること事体、おかしい気がする。今までに自衛隊が海外に出て行った歴史を大雑把に見ただけでも、以下のようである。

1991年   ペルシャ湾派遣・・・機雷掃海のため。
1992年   カンボジアPKO・・・拳銃9mm拳銃)・64式7.62mm小銃を携帯。
1996年   ゴラン高原・・・武装は、拳銃・小銃・機関銃のみ。
2001年   インド洋派遣・・・アメリカ海軍の後方支援。
2003年   イラク派遣・・・アメリカの要請による、イラクの復興支援。
2009年   ソマリア沖に護衛艦2隻とP3C哨戒機2機を派遣、現在も進攻中。


日本国内では、自衛隊であっても、攻めて来られた国からすれば、立派な軍隊であろう。64式7.62mm小銃は、軍用である。警察官が持つものではない。

自動小銃や機関銃を持ち、重武装した集団に、自分の家にはって来られたら、どう感じるであろう。そのような集団を、軍地と呼ばずに、なんと呼ぶのであろうか。
軍隊であると言う他はあるまい。
それを見れば、誰でも恐怖感を持つはずだ。

あれは日本の自衛隊であるから、心配しないでいいと思ってもらえるであろうか。そんなことはありえない。

だからいくら日本が後方支援であり戦闘をしに来たのではない、といってところで、そんな欺瞞が通るはずがない。

          *       *       *

後方支援は間違いなく、先頭の攻撃部隊と一体であるから、当然戦闘行為である。むしろ後方支援こそが、戦闘を決めると言ってもいいぐらいである。

それを後方支援であるから戦争行為ではない、というのはペテンだ。

太平洋戦争で真珠湾攻撃の時、もし、「柱島でねていた」戦艦が護衛していたなら、南雲中将は1週間でもハワイにとどまって、帰港した空母「エンタープライズ」「レキシントン」を沈める事が出来たであろう。

また、第二次攻撃も敢行したことであろう。そうすれば石油タンク群をたたくことが出来、アメリカの戦闘能力は、大幅にダウンしたことであろう。

そうすればその後の戦争の展開が、日本に有利に推移したことは、疑いがない。多くの無駄な死をなくせた。原爆も落とされずに済んだかもしれない。

それぐらい後方支援は重要なのである。結局日本が戦争に負けたのは、後方支援がいい加減にされたからである。

余りに遠くに出かけしまったので、食料の補給(なんと現地調達であった)、砲弾の不足、兵隊の補充などが、まったく出来なかった。

腹が減っては戦が出来ないだけでなく、鉄砲を持っていても、肝心の打つ弾がなかったのであった。行けば何とかなる、という甘い考えであった。これで勝てと言う方が、むちゃである。

少し筆が滑りました。元に戻します。

とにかくいそういうことで日本は過去に海外に出て行って、アメリカとともに戦争をした。(こう明確に言った方がいいと思います。)

相手にどれほどの血を流させ、自分たちも流したのかは解らないが、戦争行為をしたことは確かである。

これは解釈の問題でない。
攻めて来れれた方からすれば、間違いなく、戦争行為としか受け取れないであろう。

これまでの経過を忘れて何もなかったこのような議論がなされるのは、健忘症と揶揄される国民性ゆえか。
よく考えてみる必要がある。
                  
≪関連サイト等の案内≫
・東京新聞の記事  

太平洋戦争についての参考文献
        『トラ トラ トラ 』           プランゲ著     並木書房
        『大東亜戦争ここに甦る』      小室直樹著    クラスト社