2013年8月2日金曜日

報告■■■原子炉立地審査指針について

月8日の投稿で、保留月であった、原子炉立地審査指針について、細やかに説明がなされているサイトを見つけましたので、貼り付けます。


http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2694.html

長文で、目を通すのは大変ですが、関心のある方は、移動してみてください。

なお参議院での近藤議員の質問趣意書は下のサイトにあります。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/169/syuh/s169082.htm

そのままにしていたのが気にはなっていたので、昨日、国会図書館で調べました。
「原子炉立地審査指針」そのものは、探し出すことが出来ませんでしたが、
雑誌の ジュリスト(1968,11,1 NO409)で関連する記事を見つけました。

「原子炉立地審査指針及びその適用に関する判断のめやすについて」というタイトルの資料です。
(p34-35)

この文章のなかでは、問題になっている、「立地場所で極めて大きな地震、津

波、洪水や台風などの自然現象」と言う文節は、出てきていません。


「大きな事故の誘因となるような事象が過去に・・・・」とあるだけです。


1964年に「指針」が出来て4年後の出版物ですから、本物です。

結局は成立当初の「指針」を見つけることが出来なかったので、また疑問が残ると言う形になりました。

かしもうこの件については、これで、止めておきます。理由は以下の通りです。

文部省によって改ざんされたかどうかは別にして、今までの国の行政は改ざんに近いものがありました。法律が出来ても、それが下に降りていくにつれて、だんだんと「薄められて」本来の趣旨とは違ったものにされていくのが、普通のことでした。
さらにそれが、実行に移される段階で、官僚による裁量に任されるということがおきました。

これは法律に限ったことではないのは、国民に広く認識されていることだと思います。

普通に判断すれば違憲であるはずの自衛隊を、合憲であるとしているのは、その典型的な

例です。

今問題になっている選挙の区割りにしても、「違憲」とされてもその選挙で選ばれた議員が、法律を作るのが、今の日本の「国の形」なのです。

現在の日本では「憲法は死んでいます」から、何が起きても不思議ではありません。日本はもう法治国家ではないからです。

リビアサンという怪物(特に政府の官僚、裁判官)が、跳梁跋扈する社会になってしまっています。

だから驚くに値しません。

特措法≪平成23年せいりつ≫では、国の責任を以下のように認めています。

国は、これまで原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任を負っていることに鑑み、事故
 由来放射性物質による環境の汚染への対処に関し、必要な措置を講ずるものとする。

ある原発は、危険と解っているのに、そこに建設された訳ではないのではないか。
政治家や、その土地の「ボス」など、利権に絡むもの等が、よってたかって、作り出たものではないか。
どうもこのあたりに,深層がありそうな気がする。
だからあえて危険を承知の上で立てたと言うよりも、建てられれべくして建てられた、と言えるのではないか。

立地のことを言えば、日本には安全な所はない、というのが本当の所であろう。
日本中が馬の背の上で暮らしているのであるから。

安全基準に合格したから、自然もその通りにしてくれるわけではないのである。