これまでにも何度か原発の再稼働には反対であると述べてきた。
しかし、
「私たちには低廉で安定的なエネルギーを供給していく責任がある。原子力規制委員会が基準に合うと判断した所については、地元の皆さんの同意を得る努力をしながら再稼働をしていきたい」
というのが、安倍首相のTV番組での発言だ。あくまでも、再稼働することが、国益にかなうことである、という信念のようだ。
原発は「安価なエネルギー」でないことは、すでに証明済みであるが、ここでは繰り返さない。
安倍首相の言に同意しない論は、実は自民党の中にもある。
その例が、自民党副幹事長の河野太郎氏だ。
以下長い引用になるが、その見解についてみていく。(東洋経済オンラインから)
「新増設はしない。現存の原発でも・・・、日本原電の敦賀1号のような老朽原発や敦賀2号のような活断層の上にある原発、福島第一と同じマークⅠ型のもの、さらには東京電力には動かす資格はないだろうから、そういうものは廃炉にして、残ったものの中で安全性と必要性の高いものから再稼働をさせる。どこまで動かすかは国民合意で決めたゴミの総量で管理する。」
以上のように述べ、再稼働は認めるものの、国民合意で決めるとしている。
この点、「地元の同意」だけで済まそうとする首相とは、大きな相違がある。
また、原発に代わるものとして、シェールガスの利用も、提唱する。
「その間に原発依存をしなくて済む方策を考えるべきだ。
今後、シェールガスが輸入される。また、北方領土問題を解決して、ロシアのシベリア、サハリンからパイプラインを通じて輸入するなど、天然ガスの供給先を多様化する。そうすればコストダウンにもつながる。」
時宜にかなった判断である。 大いに進めていただきたい。
化石燃料にシフトすることは重要である。地球温暖化などというペテンに誤魔化されてはダメだ。
東電については、以下のように述べ、
「・・・今の形態の東電は、ゾンビ企業として、裏から入れた税金を返すだけの会社にすぎない。・・・やはり、企業としての東電は法的整理で破綻処理をすべきだろう。株主や金融機関の責任をちゃんと追及して、経営陣も総退陣させ、新しく生まれ変わる必要がある。」
法的な整理の必要な事を明らかにした。
その通りである。そうでないといつまでたっても、事故の真相が明らかにならない。
そして検察が強制捜査に入って、事実を国民の前に明らかにするべきだ。
さらに原発そのものについても、
「東電でさえ、事故を起こせばつぶれるという原子力発電事業を、民間企業がやっていくのは限界が見えてきたのではないか。」
と述べ、国有化することが必要であることを示唆している。
これも賛成だ。
どうせ最後は国民の税金を投入するのだから、初めから国有化しておくべきだ。
そうすれば、責任の所在もはっきりとする。東電か政府か、などと愚劣な押し付け合いをしなくてすむ。
東電に銀行が無担保で緊急融資をした件では、国は関与していない、とこれも明言した。
この事を今の時点で明らかにしておくことは大切だ。
東電が破たんした時の銀行の自己責任を明確にするものだと思うからである。
「社債については一般担保の範囲内で保証されている。3月に銀行が無担保で緊急融資した分については、国は銀行独自の経営判断だと言っている。・・・もし国が何らかの保証をしていたのなら、補償すべきだが、国は閣議決定で明確にそれを否定している。金融機関の屋台骨が揺らぐというのなら、公的資金を投入して経営責任を取っていただく。混乱を来す材料はないと思う。」
そして、東電に税金を投入していることについては、以下のように述べる。
「現状でも国が後ろから税金を入れて払っている。東電という仮面をかぶっているかかぶっていないかというだけだ。むしろ破綻処理をやれば、株主に対しては100%減資となり、金融機関への責任追及ができるので、その分、国民負担は減る。東電が生きていれば、東電が負担といっても、税金が支えているだけ。もしくは電力料金で利用者が払い続ける。」
今や東電は、単なるパイプでしかないと言うことだ。
キセルで言えば、ちょうど 真ん中 に当たる。
別に 真ん中 の所がダメになったら、たばこを詰めるところと吸い口があればいいではないかと言う訳だ。
もう東電には当事者能力がないので、他に手段は残されていない、と言うのが河野氏の判断である。
東電を藻のままにしておいたら、国民にとっては踏んだり蹴ったりである。 「被災者の債権は国が守らざるをえない。時効を延ばす議論もしていかなくてはならない。東電に当事者能力がなく、被災地を復興しなくてはならないのだから、国の責任論うんぬんではない。」
もう東電には再稼働するために審査を申請する資格はない。
他の電力会社も再稼働を申請するのであれば、「事故がおきたときは、全責任を当社が取ります」と言う一冊を入れさせて、受付をする。
それを入れないものは、玄関払いにする。それぐらいの対策を講じるべきだ。
今回と同様に、事故がおきれば最後は国民が尻拭いをすることになろうが、すくなくとも当事者としての責任を明確にする上の役には立とう。
すぐ上の発言は、党の副幹事長という立場にいながらの発言であり、重いものがある。
国民の大半は、後押しをするであろう。
これを契機に、自民党が割れ、「真に国民の多数の意思を代表する政党」が誕生することを願わずにはおれない。
そうなれば日本のこれからは、希望が出てくる。*
≪利用したサイト≫
東洋経済オンラインの記事から
http://toyokeizai.net/articles/-/15720
しかし、
「私たちには低廉で安定的なエネルギーを供給していく責任がある。原子力規制委員会が基準に合うと判断した所については、地元の皆さんの同意を得る努力をしながら再稼働をしていきたい」
というのが、安倍首相のTV番組での発言だ。あくまでも、再稼働することが、国益にかなうことである、という信念のようだ。
原発は「安価なエネルギー」でないことは、すでに証明済みであるが、ここでは繰り返さない。
安倍首相の言に同意しない論は、実は自民党の中にもある。
その例が、自民党副幹事長の河野太郎氏だ。
以下長い引用になるが、その見解についてみていく。(東洋経済オンラインから)
「新増設はしない。現存の原発でも・・・、日本原電の敦賀1号のような老朽原発や敦賀2号のような活断層の上にある原発、福島第一と同じマークⅠ型のもの、さらには東京電力には動かす資格はないだろうから、そういうものは廃炉にして、残ったものの中で安全性と必要性の高いものから再稼働をさせる。どこまで動かすかは国民合意で決めたゴミの総量で管理する。」
以上のように述べ、再稼働は認めるものの、国民合意で決めるとしている。
この点、「地元の同意」だけで済まそうとする首相とは、大きな相違がある。
また、原発に代わるものとして、シェールガスの利用も、提唱する。
「その間に原発依存をしなくて済む方策を考えるべきだ。
今後、シェールガスが輸入される。また、北方領土問題を解決して、ロシアのシベリア、サハリンからパイプラインを通じて輸入するなど、天然ガスの供給先を多様化する。そうすればコストダウンにもつながる。」
時宜にかなった判断である。 大いに進めていただきたい。
化石燃料にシフトすることは重要である。地球温暖化などというペテンに誤魔化されてはダメだ。
東電については、以下のように述べ、
「・・・今の形態の東電は、ゾンビ企業として、裏から入れた税金を返すだけの会社にすぎない。・・・やはり、企業としての東電は法的整理で破綻処理をすべきだろう。株主や金融機関の責任をちゃんと追及して、経営陣も総退陣させ、新しく生まれ変わる必要がある。」
法的な整理の必要な事を明らかにした。
その通りである。そうでないといつまでたっても、事故の真相が明らかにならない。
そして検察が強制捜査に入って、事実を国民の前に明らかにするべきだ。
さらに原発そのものについても、
「東電でさえ、事故を起こせばつぶれるという原子力発電事業を、民間企業がやっていくのは限界が見えてきたのではないか。」
と述べ、国有化することが必要であることを示唆している。
これも賛成だ。
どうせ最後は国民の税金を投入するのだから、初めから国有化しておくべきだ。
そうすれば、責任の所在もはっきりとする。東電か政府か、などと愚劣な押し付け合いをしなくてすむ。
東電に銀行が無担保で緊急融資をした件では、国は関与していない、とこれも明言した。
この事を今の時点で明らかにしておくことは大切だ。
東電が破たんした時の銀行の自己責任を明確にするものだと思うからである。
「社債については一般担保の範囲内で保証されている。3月に銀行が無担保で緊急融資した分については、国は銀行独自の経営判断だと言っている。・・・もし国が何らかの保証をしていたのなら、補償すべきだが、国は閣議決定で明確にそれを否定している。金融機関の屋台骨が揺らぐというのなら、公的資金を投入して経営責任を取っていただく。混乱を来す材料はないと思う。」
そして、東電に税金を投入していることについては、以下のように述べる。
「現状でも国が後ろから税金を入れて払っている。東電という仮面をかぶっているかかぶっていないかというだけだ。むしろ破綻処理をやれば、株主に対しては100%減資となり、金融機関への責任追及ができるので、その分、国民負担は減る。東電が生きていれば、東電が負担といっても、税金が支えているだけ。もしくは電力料金で利用者が払い続ける。」
(煙管(キセル)。全体が3個から出来ている。真ん中は、「竹」製。)
今や東電は、単なるパイプでしかないと言うことだ。
キセルで言えば、ちょうど 真ん中 に当たる。
別に 真ん中 の所がダメになったら、たばこを詰めるところと吸い口があればいいではないかと言う訳だ。
もう東電には当事者能力がないので、他に手段は残されていない、と言うのが河野氏の判断である。
東電を藻のままにしておいたら、国民にとっては踏んだり蹴ったりである。 「被災者の債権は国が守らざるをえない。時効を延ばす議論もしていかなくてはならない。東電に当事者能力がなく、被災地を復興しなくてはならないのだから、国の責任論うんぬんではない。」
もう東電には再稼働するために審査を申請する資格はない。
他の電力会社も再稼働を申請するのであれば、「事故がおきたときは、全責任を当社が取ります」と言う一冊を入れさせて、受付をする。
それを入れないものは、玄関払いにする。それぐらいの対策を講じるべきだ。
今回と同様に、事故がおきれば最後は国民が尻拭いをすることになろうが、すくなくとも当事者としての責任を明確にする上の役には立とう。
すぐ上の発言は、党の副幹事長という立場にいながらの発言であり、重いものがある。
事体は急を要する。
河野氏には党を割ってでも、この実現に努力して頂きたいものだ。国民の大半は、後押しをするであろう。
これを契機に、自民党が割れ、「真に国民の多数の意思を代表する政党」が誕生することを願わずにはおれない。
そうなれば日本のこれからは、希望が出てくる。*
≪利用したサイト≫
東洋経済オンラインの記事から
http://toyokeizai.net/articles/-/15720