少し間が空きましたが、東電の「体質」についての締めくくりの回です。
前回は7月30日でしたが、その後の東電をめぐる動きを見ると、隔絶の感があります。
麻生発言に始まって、集団的自衛権の行使の容認への動き、ーー東電の汚染水についてのーー「産経ニュース」を初めとする、マスメディアの政府対応の要求の高まりなど。
それを受けての、経産省による1日300トンの、海への流出の試算結果の公表。
そしてついに8月7日には安倍首相による、「国費投入」の表明。
実に事故発生から、2年6か月が過ぎてからのことです。
もはや福島の事故は、東電の手を離れた感がある。もっとも国が具体的にどれだけの事をするのかは、まだ未知数である。
また同じような事がくり返されないと言う保障は何もない。
さて前回は、締めくくりとして、CO2のことについて書くことを約束しました。
専門家ではないので詳しい説明は無理ですが、知りえた限りのことについて述べてみます。
すぐ下が、地球誕生のころからの、酸素、二酸化炭素、アルゴン、窒素の変化を示した図です。
CO2が極端に減少しているのが分かります。
つぎに最近の日本のCO2濃度の変化のグラフを次に示します。
増加量はほぼ一定ですが、年々増加している事がわかります。
これは地球全体の傾向と同じです。二つのグラフを重ね合わせれば、それが良くわかります。
地球が誕生した時に地上をおおっていたC02が減り,そのことでO2が増えました。
その結果,C02とO2は逆の線を描くことになります。
ここには示しませんでしたが、おそらくCO2の上昇曲線は、英国の産業革命以後始まったことであろうと見る事が出来ます。
ところでCO2はまるで悪魔の元素のように言われていますが、今極端な例をモデルにして考えてみます。
仮に大気中のCO2がすべてなくなってしまった状態を考えます。するとどうなるのでしようか。
そのことは、地球に取って本当に良いことでしょうか。
温室効果はなくなり、温暖化が防げ、海に沈む台地がなくなり、世界の人々に安心と幸福を約束するものになるのでしょうか。
一見、これはとても良い事のように思えます。
しかしCO2が亡くなれば、CO2を「食糧」にしている植物は死滅します。
森林はもとより、草も生えません。野菜も出来ません。
そうなれば、植物を食べて生きている、動物も生存することは不可能です。
人間も動物である以上、他の動物と同様です。つまりは生存できません。
この地球上には生物も動物もいなくなり,太古の時代と変わらないものになるでしょう。
だから、CO2がなくなることは、逆に生物や動物や人類にとっては、大変なことです。
CO2がまったくなくなれば、地球上は厚い氷におおわれてしまいます。CO2のおかげで、温かく暮らすことが出来るのです。
しかしCO2ばかりになれば、生物が生存できないのもまた事実です。
要するに程度問題です。
一番上の図に示したように,CO2はほとんどなくなりつつあります。減らすことより増やすことを考えるべきでしょう。
前回示したように、化石燃料(シェールガスは、少なく見ても、あと150年間使えるぐらいは充分にあります。
火力発電--原発に頼らない--だけで充分に電力をまかなうことはできます。それによってCO2が排出されることになっても、大騒ぎをするほどのことではありません。
CO2が極端に減っていることからすれば、今の地球は温暖化するより寒冷化に向かっているとみるべきです。
電力会社や国が言うように、原発に頼らずとも、十分に電力は賄えます。
もちろん地熱発電もいいでしょう。風力、太陽光もあります。しかしこれらを作ったり、施設を維持したりするには、石油に頼ることが必要です。
そうなら初めから、石油を燃やす火力発電のほうが、効率的でしょう。
火力発電なら、東電のような会社も国民をだましたり、傷つけたりしないで済みます。
堂々と営業をして、稼げます。社会に有用な企業であることを証明できることでしょう。
消費地のすぐそばで発電が出来れば、長い送電線の必要もなくなり、ロスも減るでしょう。
いいことばかりです。
原発と別れてしまえばいいのです。そうすれば未来は明るいものになることでしょう。
東電の会見を聞いていると怒りより、哀れさが先に来ます。
あの会見をしなければならない社員の方には、同情を禁じえません。
そんなことのために、会社勤めをしているのではないとおもいます。
こんな社員を作り出す会社は、存続する価値がないと言われても反論できないでしょう。(完)
≪サイト案内≫
「大気と海の歴史」について
http://www.s-yamaga.jp/nanimono/chikyu/taikitokaiyonorekishi.htm
気象庁のサイト
http://ds.data.jma.go.jp/ghg/kanshi/ghgp/co2_trend.html
前回は7月30日でしたが、その後の東電をめぐる動きを見ると、隔絶の感があります。
麻生発言に始まって、集団的自衛権の行使の容認への動き、ーー東電の汚染水についてのーー「産経ニュース」を初めとする、マスメディアの政府対応の要求の高まりなど。
それを受けての、経産省による1日300トンの、海への流出の試算結果の公表。
そしてついに8月7日には安倍首相による、「国費投入」の表明。
実に事故発生から、2年6か月が過ぎてからのことです。
もはや福島の事故は、東電の手を離れた感がある。もっとも国が具体的にどれだけの事をするのかは、まだ未知数である。
また同じような事がくり返されないと言う保障は何もない。
さて前回は、締めくくりとして、CO2のことについて書くことを約束しました。
専門家ではないので詳しい説明は無理ですが、知りえた限りのことについて述べてみます。
すぐ下が、地球誕生のころからの、酸素、二酸化炭素、アルゴン、窒素の変化を示した図です。
CO2が極端に減少しているのが分かります。
つぎに最近の日本のCO2濃度の変化のグラフを次に示します。
増加量はほぼ一定ですが、年々増加している事がわかります。
これは地球全体の傾向と同じです。二つのグラフを重ね合わせれば、それが良くわかります。
地球が誕生した時に地上をおおっていたC02が減り,そのことでO2が増えました。
その結果,C02とO2は逆の線を描くことになります。
ここには示しませんでしたが、おそらくCO2の上昇曲線は、英国の産業革命以後始まったことであろうと見る事が出来ます。
ところでCO2はまるで悪魔の元素のように言われていますが、今極端な例をモデルにして考えてみます。
仮に大気中のCO2がすべてなくなってしまった状態を考えます。するとどうなるのでしようか。
そのことは、地球に取って本当に良いことでしょうか。
温室効果はなくなり、温暖化が防げ、海に沈む台地がなくなり、世界の人々に安心と幸福を約束するものになるのでしょうか。
一見、これはとても良い事のように思えます。
しかしCO2が亡くなれば、CO2を「食糧」にしている植物は死滅します。
森林はもとより、草も生えません。野菜も出来ません。
そうなれば、植物を食べて生きている、動物も生存することは不可能です。
人間も動物である以上、他の動物と同様です。つまりは生存できません。
この地球上には生物も動物もいなくなり,太古の時代と変わらないものになるでしょう。
だから、CO2がなくなることは、逆に生物や動物や人類にとっては、大変なことです。
CO2がまったくなくなれば、地球上は厚い氷におおわれてしまいます。CO2のおかげで、温かく暮らすことが出来るのです。
しかしCO2ばかりになれば、生物が生存できないのもまた事実です。
要するに程度問題です。
一番上の図に示したように,CO2はほとんどなくなりつつあります。減らすことより増やすことを考えるべきでしょう。
前回示したように、化石燃料(シェールガスは、少なく見ても、あと150年間使えるぐらいは充分にあります。
火力発電--原発に頼らない--だけで充分に電力をまかなうことはできます。それによってCO2が排出されることになっても、大騒ぎをするほどのことではありません。
CO2が極端に減っていることからすれば、今の地球は温暖化するより寒冷化に向かっているとみるべきです。
電力会社や国が言うように、原発に頼らずとも、十分に電力は賄えます。
もちろん地熱発電もいいでしょう。風力、太陽光もあります。しかしこれらを作ったり、施設を維持したりするには、石油に頼ることが必要です。
そうなら初めから、石油を燃やす火力発電のほうが、効率的でしょう。
火力発電なら、東電のような会社も国民をだましたり、傷つけたりしないで済みます。
堂々と営業をして、稼げます。社会に有用な企業であることを証明できることでしょう。
消費地のすぐそばで発電が出来れば、長い送電線の必要もなくなり、ロスも減るでしょう。
いいことばかりです。
原発と別れてしまえばいいのです。そうすれば未来は明るいものになることでしょう。
東電の会見を聞いていると怒りより、哀れさが先に来ます。
あの会見をしなければならない社員の方には、同情を禁じえません。
そんなことのために、会社勤めをしているのではないとおもいます。
こんな社員を作り出す会社は、存続する価値がないと言われても反論できないでしょう。(完)
≪サイト案内≫
「大気と海の歴史」について
http://www.s-yamaga.jp/nanimono/chikyu/taikitokaiyonorekishi.htm
気象庁のサイト
http://ds.data.jma.go.jp/ghg/kanshi/ghgp/co2_trend.html