福島第一の汚染水流出が止まらない。
なぜなら、
現在原子炉建屋には、1日約400トンの地下水が流れ込んでいるとみられている。建屋は1〜4号機とも事故時に大きく破損しているが、線量が高すぎて近寄れず、詳細はいまだに分からない、
からである。
このような状態である福島第一原発に対して、下記のような計画が立案され、それを実施に移す活動が広がっているらしい。
死や苦しみの舞台となった場所を訪れる「ダークツーリズム」が注目されている。福島第1原発に関して、文化人らが「福島第1原発観光地化計画」を立案し、活動を広げているのだ。・・・批評家の東浩紀さんが発案し、観光学者の井出明さんや現代美術家の梅沢和木さん、社会学者の開沼博さん、メディア・アクティビストの津田大介さん、フリーランス編集者の速水健朗さん、建築家の藤村龍至さんらが参画。自己の歴史を後世に伝えるとともに、被災地の復興にも役立てようという狙い。そのため、どんな施設を作り、なにを展示し何を伝えるべきか、予め考えておこうというプロジェクトだ。・・・・跡地を更地にせず、周辺の放射能が一定レベル以下に下がった段階で、原発から20キロ程度のところに宿泊施設を備えた「フクシマゲートヴィレッジ」を開設し、原発事故の記憶を伝える博物館や自然エネルギーの研究施設なども併設する。観光客は、ここを拠点に、バスで「サイトゼロ」の廃炉現場に行き、作業を見学する――といった案が練られている・・・避難生活の長期化など、現地で困難な状況が続く中、震災の記憶も薄れがちと指摘されるだけに、「ダークツーリズム」の活用も、被災地支援のために重要だ。
http://www.j-cast.com/2013/08/01180416.html?p=3
「死や苦しみの舞台となった場所」とは、いかにも象徴的である。
福島第一はもう終わってしまった過去の出来事か。そうではない。福島の事故は、今も進行中なのである。
「震災の記憶も薄れがち」になっているのは、その当事者でない者たちである。
そんなのんきな事が言えるのは、現場に居合わせていないものらの、たわごとだ。
当事者にとっては、記憶が薄れることは、永遠にない。
極限の恐怖心というものは、ちょっとやそっとでは、なくならない。何かにつけて、思い出される。
まして、避難者や、政府が安全と言っているが、汚染された地域に暮らす国民にとっては、
けっして、過去ではない。
そんな所を、「自己の歴史を後世に伝える」ために、観光地化しようと考えるなど、正気の沙汰ではない。
事故の歴史を残したければ、ほかに方法がいくらでもあろう。
「事故の歴史を後世につたえる」のは、人の不幸を利用してまで、しなければならないことか。
どんな才能をもっていようと、そんなことは許されることではない。
仮につくるとしても、問題が多い。
東電は、汚染水一つ解決できずいるのである。
廃炉には、30年から40年かかると予想されている。それは東電の工程表であり、研究者の中には100年かかるとの見方もある。
メルトダウンした燃料を取り出せるかも、不明だ。原子炉の中はどうなっているのかも分らないである。原子炉のなかには、100トンのウランがあるそうだ。
おそらく、燃料は部分的に取り出せても大半が残り、ソ連のように、コンクリートで覆うことになろう。とても一般の国民が近づけるような状態にはならないであろう。
周辺の放射線量が一定レベルまで下がるには、最低30年は要するであろう。
森が多い所で、除線が出来るとはとても思えない。これだけ拡散してしまったものを、回収することなど,とても出来ないであろう。
先日樽葉町で見つかり、東電が引き取った「無主物」の分析結果さえまだ公表されていない。
とても安心して、人が近づけるような状態にできるとは思えない。
事故の現場の状況はとても苛酷だ。メルトダウンした燃料を取り出さない限り、人が近ずくことなどとても出来まい。廃炉現場を見学すると言うが、命がけの仕事をしている人等に対し失礼である。
(すぐ上の赤字文 8月5日 追記)
被災地復興・支援を言うなら、別の方法を考えるべきだ。
旧ソ連の状態を参考までに、貼り付けます。
2010年現在もなお、原発から半径30km以内の地域での居住が禁止されるとともに、原発から北東へ向かって約350kmの範囲内にはホットスポットと呼ばれる局地的な高濃度汚染地域が約100箇所にわたって点在し、ホットスポット内においては農業や畜産業などが全面的に禁止されており、また、その周辺でも制限されている地域がある。・・・・事故当時、爆発した4号炉は操業休止中であり、外部電源喪失を想定した非常用発電系統の実験[1][要高次出典]を行っていた。この実験中に制御不能に陥り、炉心が融解、爆発したとされる。爆発により、原子炉内の放射性物質[注釈 1]が大気中に量にして推定10t前後、14エクサベクレルに及ぶ放射性物質が放出された[2] 。・・・・ウクライナのチェルノブイリ連合(NGO)は、現在までの事故による死亡者数を約73万4,000件と見積もっている[28]。京都大学原子炉実験所の今中哲二によれば、チェルノブイリ事故の被曝の影響による全世界の癌死者数の見積りとして2万件から6万件が妥当なところとの見解を示しているが、たとえ直接の被曝を受けなくとも避難などに伴う心理面・物理面での間接的な健康被害への影響に対する責任が免責されるわけではないと指摘している[29]。・・・事故の直後においては健康への影響は主に半減期8日の放射性ヨウ素によるものだった。今日では、半減期が約30年のストロンチウム90とセシウム137による土壌汚染が問題になっている。最も高いレベルのセシウム137は土壌の表層にあり、それが植物、昆虫、キノコなどに吸収され、現地の食糧生産に入り込む。最近の試験(1997年頃)によると、この区域内の木の中のセシウム137のレベルは上がり続けている。汚染が地下の帯水層や、湖や池のような閉じた水系に移行しているといういくつかの証拠がある(2001年、Germenchuk)
福島に第3の「原爆記念碑」を作ることはない。
2度と繰り返しませんと誓いながら、広島も、長崎も、今日の事故を防ぐことが出来なかった。
記念館などその程度のものでしかない。
なぜなら、
現在原子炉建屋には、1日約400トンの地下水が流れ込んでいるとみられている。建屋は1〜4号機とも事故時に大きく破損しているが、線量が高すぎて近寄れず、詳細はいまだに分からない、
からである。
このような状態である福島第一原発に対して、下記のような計画が立案され、それを実施に移す活動が広がっているらしい。
死や苦しみの舞台となった場所を訪れる「ダークツーリズム」が注目されている。福島第1原発に関して、文化人らが「福島第1原発観光地化計画」を立案し、活動を広げているのだ。・・・批評家の東浩紀さんが発案し、観光学者の井出明さんや現代美術家の梅沢和木さん、社会学者の開沼博さん、メディア・アクティビストの津田大介さん、フリーランス編集者の速水健朗さん、建築家の藤村龍至さんらが参画。自己の歴史を後世に伝えるとともに、被災地の復興にも役立てようという狙い。そのため、どんな施設を作り、なにを展示し何を伝えるべきか、予め考えておこうというプロジェクトだ。・・・・跡地を更地にせず、周辺の放射能が一定レベル以下に下がった段階で、原発から20キロ程度のところに宿泊施設を備えた「フクシマゲートヴィレッジ」を開設し、原発事故の記憶を伝える博物館や自然エネルギーの研究施設なども併設する。観光客は、ここを拠点に、バスで「サイトゼロ」の廃炉現場に行き、作業を見学する――といった案が練られている・・・避難生活の長期化など、現地で困難な状況が続く中、震災の記憶も薄れがちと指摘されるだけに、「ダークツーリズム」の活用も、被災地支援のために重要だ。
http://www.j-cast.com/2013/08/01180416.html?p=3
「死や苦しみの舞台となった場所」とは、いかにも象徴的である。
福島第一はもう終わってしまった過去の出来事か。そうではない。福島の事故は、今も進行中なのである。
「震災の記憶も薄れがち」になっているのは、その当事者でない者たちである。
そんなのんきな事が言えるのは、現場に居合わせていないものらの、たわごとだ。
当事者にとっては、記憶が薄れることは、永遠にない。
極限の恐怖心というものは、ちょっとやそっとでは、なくならない。何かにつけて、思い出される。
まして、避難者や、政府が安全と言っているが、汚染された地域に暮らす国民にとっては、
けっして、過去ではない。
そんな所を、「自己の歴史を後世に伝える」ために、観光地化しようと考えるなど、正気の沙汰ではない。
事故の歴史を残したければ、ほかに方法がいくらでもあろう。
「事故の歴史を後世につたえる」のは、人の不幸を利用してまで、しなければならないことか。
どんな才能をもっていようと、そんなことは許されることではない。
仮につくるとしても、問題が多い。
東電は、汚染水一つ解決できずいるのである。
廃炉には、30年から40年かかると予想されている。それは東電の工程表であり、研究者の中には100年かかるとの見方もある。
メルトダウンした燃料を取り出せるかも、不明だ。原子炉の中はどうなっているのかも分らないである。原子炉のなかには、100トンのウランがあるそうだ。
おそらく、燃料は部分的に取り出せても大半が残り、ソ連のように、コンクリートで覆うことになろう。とても一般の国民が近づけるような状態にはならないであろう。
周辺の放射線量が一定レベルまで下がるには、最低30年は要するであろう。
森が多い所で、除線が出来るとはとても思えない。これだけ拡散してしまったものを、回収することなど,とても出来ないであろう。
先日樽葉町で見つかり、東電が引き取った「無主物」の分析結果さえまだ公表されていない。
とても安心して、人が近づけるような状態にできるとは思えない。
事故の現場の状況はとても苛酷だ。メルトダウンした燃料を取り出さない限り、人が近ずくことなどとても出来まい。廃炉現場を見学すると言うが、命がけの仕事をしている人等に対し失礼である。
(すぐ上の赤字文 8月5日 追記)
被災地復興・支援を言うなら、別の方法を考えるべきだ。
旧ソ連の状態を参考までに、貼り付けます。
2010年現在もなお、原発から半径30km以内の地域での居住が禁止されるとともに、原発から北東へ向かって約350kmの範囲内にはホットスポットと呼ばれる局地的な高濃度汚染地域が約100箇所にわたって点在し、ホットスポット内においては農業や畜産業などが全面的に禁止されており、また、その周辺でも制限されている地域がある。・・・・事故当時、爆発した4号炉は操業休止中であり、外部電源喪失を想定した非常用発電系統の実験[1][要高次出典]を行っていた。この実験中に制御不能に陥り、炉心が融解、爆発したとされる。爆発により、原子炉内の放射性物質[注釈 1]が大気中に量にして推定10t前後、14エクサベクレルに及ぶ放射性物質が放出された[2] 。・・・・ウクライナのチェルノブイリ連合(NGO)は、現在までの事故による死亡者数を約73万4,000件と見積もっている[28]。京都大学原子炉実験所の今中哲二によれば、チェルノブイリ事故の被曝の影響による全世界の癌死者数の見積りとして2万件から6万件が妥当なところとの見解を示しているが、たとえ直接の被曝を受けなくとも避難などに伴う心理面・物理面での間接的な健康被害への影響に対する責任が免責されるわけではないと指摘している[29]。・・・事故の直後においては健康への影響は主に半減期8日の放射性ヨウ素によるものだった。今日では、半減期が約30年のストロンチウム90とセシウム137による土壌汚染が問題になっている。最も高いレベルのセシウム137は土壌の表層にあり、それが植物、昆虫、キノコなどに吸収され、現地の食糧生産に入り込む。最近の試験(1997年頃)によると、この区域内の木の中のセシウム137のレベルは上がり続けている。汚染が地下の帯水層や、湖や池のような閉じた水系に移行しているといういくつかの証拠がある(2001年、Germenchuk)
福島に第3の「原爆記念碑」を作ることはない。
2度と繰り返しませんと誓いながら、広島も、長崎も、今日の事故を防ぐことが出来なかった。
記念館などその程度のものでしかない。