2013年8月14日水曜日

汚染水問題の収拾には、東電の解散と、国の責任で。

福島の汚染水の海への流出が止まらない。
1日1000Lも地下水が流れ込み、そのうち400Lが建屋に流れ込んでいる。
残りの600Lが海に流れ込んでいる。

そして海に流れた600Lの内の300Lが、建屋内にある汚染水(放射性物質を含む)とまじったものである。
もう福島の事故現場をもとの緑あふれる大地にすることなどとても出来まい。
はかない幻想はすてて、現実を見よう。

もしこの事故を解決できなければ、我々は旧ソ連を誹ることはできまい。
汚染水を垂れ流すことは、単に福島の漁民だけの問題ではない。

現在のそして将来の日本国民全体の問題である。
美しい海を将来の国民に残すことは、我々の使命であり、責任だ。
それが今まで美しい海を守り、我々に引き継いでくれた、これまでの幾多の国民にたする義務である。


またこの海につながる、世界の人々の問題である。
いわばこれは地球全体の問題であると言っても過言ではない。

中国が大気を汚染し、その影響が日本に来ると、マスコミは大騒ぎをした。
それによる大気の汚れを観測し、毎日国民に知らせた。
アスベストに
毎年のように2月になると、気象庁は花粉情報を流すのも、今では恒例の「行事」だ。

ペットボトルを燃やすとダイオキシンが出ると言って、国民に毎日ゴミに分別を強いている。
地球環境を守るためだと言って、買い物に、マイバッグを持参させる。其れももとをただせば、
石油を使うことを減らし、空気を汚染しないためだと、国は説明する。
個人の家庭の花壇に除草剤を撒くことから、農家が農薬を撒くととまで規制しているのも、有害物質をまき散らさないためだ。

化学洗剤の使用をやめ、自然にやさしい洗剤をと盛んに宣伝するのも、川を汚さないためだ。
川が海へとつながっているからだ。子供でも知っていることである。

それなのにどうして、東電にだけはそれが許されるのか。
はっきりとした説明を聞きたい。

少し昔であるが、「責任者出て来い!」を大声を上げる「漫才師」がいた。
漫才の終わりの所で、その漫才師が「責任者 でてこい !」と怒鳴ると、溜飲をさげたものだ。

あの漫才師が存命であったなら、なんと叫ぶことであろうか。

東電は、トリチウムについては計測をしているが、セシウムは計測していない !!! と答えており、実際にどれだけのセシウムや他の放射性物質が含まれているのかは不明だ。

事故前からトリチウムは一定量以下なら海に流すことが認められていたので、その認められているトリチウムだけを計測したものと思われる。
それ以外の放射性物質が大量に含まれている事が明らかにとなると、汚染水を海に流すことが出来なくなるのを見越してのことではないか。

汚染水の状況は、もう海に放出するしか解決出来なくなって来ているのではないか。
東電は、国民の手前もあって、汚染水対策に取り組んではいるが、すでに限界を超えているのであろう。

そもそも津波で原発がダメになったのは、津波が建屋を乗り越えてきたからではない。
建屋は、高さが25メートルあり、津波はそれを乗り越えることが出来なかった。
だから寄せてきた津波は、建屋を迂回して建屋の後ろにある原子炉のところにきた。

建屋が十分に防波堤の役目を果たしたのである。
だからもし、地下に電源が集まっていなければ、事故は防げたであろう。(仮に東電が言うように、地震によって原発が壊れたのではないのだとした場合のことであるが。)

今回の地下水も同様である。
地下水は海より高い所から流れてきており、どんな壁をどれだけ作って遮ろうとしても、水は壁に沿って移動し,やがては海に流れるほかない。

自然の法則には逆らうことは出来ない。
仮に汲み上げても、もうそれを保管しておく場所がないもは明白である。
しかも東電が汲み上げると言っている量は,150L程度であり、それこそ「焼け石に水」だ。


処理をして海に放出するにしても、とても追いつくまい。

これまでも何度も指摘していたことだが、東電には汚染水の解決は出来ない。
IAEAからも援助の手を差し伸べても良いとの話も来ている。
もう東電は福島原発から手を引いて、国が全責任を持って解決にあたるべき時である。

国が民間のしかるべき会社に委託するなりして、東電にはもう事故現場から退くよう措置を取るべきだ。
そうすれば、原子炉内の状況の把握も、困難ではあっても、可能になろう。
汚染水に含まれている放射性物質の種類や量も明らかになろう。

世界に冠たる日本というのなら、東電から現場を引き継ぎ、持てる国力のすべてを傾けて、
まず汚染水の解決にあたるべき時である。