2015年9月14日月曜日

WSJ「原爆投下を神に感謝」(Ⅳ) F・D・ルーズベルトの「責任」

「日米戦争」を始めたのは、F・D・ルーズベルトである。
このことを、米国の二人の証言から、明らかにしてみたい。

一人は、フーバー大統領。
もう一人は、ハミルトン・フィッシュ。
二人とも、そろって、日米戦争を始めたのはルーズベルト大統領である、と証言している。


少し間が開いてしまったが、第4回目を投稿したい。


1) 日米戦争は「戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望であった」

この章は、中央大学客員教授の稲村公望氏の記事を使わせていただいた。

ジョージ・ナッシュ氏は、フーバー大統領の回想録『Freedom Betrayed(裏切られた自由)』を編集した。その中に、ルーズベルト大統領に関する記述がある。
(尚、この本の翻訳は、今なお、出版されておらず、英語でしか読むことが出来ない。)

「私(=フーバー大統領)は、ダグラス・マッカーサー大将と、(一九四六年)五月四日の夕方に三時間、五日の夕方に一時間、そして、六日の朝に一時間、サシで話した。(中略)
 私が、日本との戦争の全てが、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望であったと述べたところ、マッカーサーも同意して、また、一九四一年七月の金融制裁は、挑発的であったばかりではなく、その制裁が解除されなければ、自殺行為になったとしても戦争をせざるを得ない状態に日本を追い込んだ。制裁は、殺戮と破壊以外の全ての戦争行為を実行するものであり、いかなる国と雖も、品格を重んじる国であれば、我慢できることではなかったと述べた」
ここには、ハッキリと、日本との戦争が、ルーズベルトによって引き起こされた、事が明らかにされている。

(2)で明らかになるように、この時点では、ダグラス・マッカーサー大将も、まだ、「ハル・ノート」の存在は知らない。したがって、「金融制裁」についてしか述べていない。

それでも、「いかなる国と雖も、品格を重んじる国であれば、我慢できることではなかった」といっている。

ダグラス・マッカーサー大将が、「ハル・ノート」について言及したのは、1951年5月3日の議会においてであった。

「蚕を除けば、日本原産のものは実質的に何もありません。彼らはウールを欠いている、綿を欠いている。彼らは、石油製品が不足している。彼らは、スズを欠いている、彼らはゴムを欠いている、彼らはアジア地域に存在する多くの物資を欠いている。彼らは、それらの供給が断たれた場合、日本では1千万から1千2百万までの人々が失業するだろうと恐れていた。戦争に突入した彼らの目的は、主に安全保障(security)上の観点からのものであった。」


2) ルーズベルトが、「憲法に違反する、議会の承認のない戦争を始めた」

次は、ハミルトン・フィッシュ。
氏の著作である、『ルーズベルトの開戦責任』から引用する。

「あとがき」によれば、この本が出版されたのは、1976年。そして、驚くべきことに、本書が翻訳されたのは、2014年。何と、38年目にしてようやく、日本語で読めるようになった。

実に、ルーズベルトの死から、55年後のことである。
この間、ルーズベルトによる「陰謀論」が、囁(ささや)かれていた。

しかし、本書によって、それが「陰謀論」ではなく、事実である、ことが証明された。
以下に、15章の冒頭部分からの引用を、列記しておきたい。

ルーズベルト大統領が日本に最後通牒を発したのは1941年11月26日であった。この通牒は日本に対して、インドネシアから、そして満州を含む中国からの撤退を要求していた。これによって日本を戦争せざるを得ない状況に追い込んだのである。この事実をルーズベルト政権は隠していた。しかしこれは

紛れもない事実である。」
最後通牒であるハル・ノートは真珠湾攻撃以後も意図的に隠された。最後通牒を発した責任者はもちろんFDR(ルーズベルト大統領)である。日本の対米戦争開始で喜んだのはスチムソンであり、ノックスであった。彼らは根っからの干渉主義者であり、日本と戦うことになるのを喜んだ。・・・・
 ルーズベルトもスチムソンも、ハル・ノートを「最後通牒」だと考えていたことは明らかである。スチムソン自身の日記にそう書き止めている。関係者の誰もが日本に残された道は対米戦争しかないと理解していた。我が国はこうして憲法に違反する、議会の承認のない戦争を始めたのである。アメリカは戦う必要もなかったし、その戦いを(アメリカ国民も日本も)浴していなかった。」
「・・・FDRが指名し登用した者ばかりであった。「どうやったら議会の承認なく、また、国民に知られることなく 戦争を始められるか」。彼らの頭の中にはそれだけしかなかった。私はFDRと同政権幹部の行った隠蔽工作を白日の下に晒さなければ気が済まない。アメリカの国民は真実を知らなければならない。
「真珠湾に船体を横たえる戦艦アリゾナは命を落とした千人の水兵の墓標である。同時にあの最後通牒の存在を、今生きる者たちに伝える遺産でもある。
真珠湾で戦死した海軍や陸軍の兵士が戦争を始めたわけではない。始めたのはルーズベルトらのワシントン高官である。」
これらの文章には、ルーズベルトが最後通牒である「ハル・ノート」を日本に突きつけ、日本から戦端を開かざるを得ないように持って行った「ルーズベルトの策略」が、鮮やかに描き出されている。

アメリカの国民への公約により「手足を縛られ」、「身動き」が出来ないルーズベルトが取った手段が、「ハル・ノート」であった。


3) 国家の安全保障は、最高指導者の「頭の中身」の出来、不出来にかかっている

日本は、ルーズベルトの策略にはまり、「無謀」にも、対米戦争に踏み切った。
もし、日本の指導者が米国の政治制度に対する理解が十分あれば、このような戦争をする必要がなかった、のも事実である。

ルーズベルトが米国民との公約で、戦争を始めることが出来ないことを知っていれば、「ハル・ノート」など、「無視」しておれた。

ルーズベルトは、どんなことがあろうと、「自分からは、戦争を始める」ことができなかった、のだ。

このことは、国家の安全保障を守ることは、「兵隊(=軍隊)」だけがすることではない、という事を証明している。

最高指導者の「頭の中身」にかかっている、という事を証明している。
もし、ルーズベルトの「心の中を読むこと」が出来ていれば、日米は戦わずに済んだ。

「原爆の投下(=攻撃)」による被害を受けることも、今日もなお、多くの国民が、原爆症で苦しみ、亡くなる]という事態も避けることが出来た。

(2015年9月14日)