どさくさまぎれの「採決」となった。
このことで、安倍首相の「ていねいに説明する」という約束も、鴻池委員長の「参議院は、衆議院の下請けではない」という明言も、「反故」にされた。
鴻池委員長に対する不信任動議が否決され、鴻池委員長が席に着いたとたんに、与党席の議員が立ち上がり、万歳をさけんだ。鴻池委員長の声は、まったく聞き取れず、―画面を見ていても―何が起きているのかわからない。
野党議員は、鴻池委員長が席に戻ると同時に、委員長席に「詰め寄った」。
そのあいだの「出来事」であった。
本当にこれが、「良識の府」と言われる参議院の採決の姿なのか。特定秘密保護法に続き、安倍政権の「強引な手法」が、またも、繰り出された。これで、衆議院に続き、ダブル「強行採決」となった。
これで、完全に参議院は、「良識の府」であることをやめ、「衆議院の下請け」の地位に「成り下がる」ことになった。と同時に、「言論の府」であることも、自らが「否定」をした。
国会が「言論の府」でなくなって「久しい」が、今回のこのことで、参議院は「死んだ」も、同然となった。最早、参議院は、「存在する価値」のない議会となった、といえる。
参議院が「存在する価値」のない議会となったことで、日本の国会も、「死んだ」といってよい。「良識の府」と呼ばれた参議院でさえ、議会としての役割を果たすことを止めたのであるから、衆議院が参議院に役割を果たせない以上は、「死んだ」ことになる。
このことは、日本の民主主義が「死んだ」ということでもある。今や、日本は、「北朝鮮」や、「中国」などの国家体制を、「馬鹿にすること」が出来なくなった。
民主主義国家と「自慢」していながら、このような「暴挙」が行われたのである。むしろ、「北朝鮮」や、「中国」より劣る国家になった、といえる。今や、日本は「独裁者が闊歩する社会」となった。
また、―安倍政権の推進者である与党の―自民党は「ナチス党」と、公明党は「戦争党」と党名を変更すべきである。両党は、もはや、「自由、民主」を、「平和」を名乗るにふさわしい政党ではなくなった。
「私が最高責任者である」と名乗る人間によって、日本の最高法規である「憲法」が、「蹂躙」された。今や、日本は「法治国家である」ことさえ、やめた。この「反動」は、限りなく大きいものとなることであろう。
犯罪者が闊歩し、社会は「混乱の極み」を経験することになろう。この責任は、誰が取るべきなのか。我々、国民は、このことをしっかりと胸に刻み、これから果たすべき責任を自覚すべきである。
きょうの「暴挙」は参議院が、いまだ「良識の府」に非ず、ということを満天下に示した。
(2015年9月17日)