2015年9月23日水曜日

「勇者」!が、学校近くの公園に献花台を設置 中1生「イジメ自殺」【1】

今、私はこのブログで、≪「日本」いまだ「民主主義国家」に非ず≫という記事を連載している。
昨日の記事では、―連載と関係がないが―中学生の「強盗」事件を取り上げた。
それにしても、つくづくと思う。今の教育現場と、社会は、「腐っている」と。


今の教育現場の中には、当然、教育委員会も入っている。むしろ、こここそが、「腐敗」の元凶かも知れない、と思う。
朝になって、偶然に、次のような記事を見つけた。


◆ 学校近くの公園に、献花台を設置

中学校での「イジメ」事件の、その後に関する記事である。(実は、この事件自体を私は、知らなかった、のだが。)学校の対応、市教委の対応、地域の対応などについて、詳しく報告した記事になっている。(「毎日新聞」)
仙台市立中学1年の男子生徒が昨年秋、学校でいじめを受けて自殺した問題で、学校近くの公園に、誰かが男子生徒の死を悼むためとみられる献花台を設置した。市教委は「遺族が望んでいない」として学校名を公表せず、学校も生徒や保護者にいじめの事実を明らかにしていない。』
市教委が、「遺族が望んでいない」といっているのは、事実なのか。どうも、この点は「怪しい」と思える。「学校名の公表」を「望んでいない」ような遺族が、本当に存在するのであろうか。

かりに、そうだとしたら、「(イジメで自殺した本人は)浮かばれまい」。むしろ、学校名を公表し、「生徒や保護者にいじめの事実を明らかにして」、今後このようなことが起きないようにと、望むのが遺族としての「務め」ではないのか。

このようなことを悲しみの中にある遺族に求めることは、「酷なこと」であるのは、十分に承知しているが、あえて、言いたかった。「非難」があれば、受けたい。


◆ 「隠蔽体質」が、事件を繰り返す原因

複数の地元住民の話では、献花台は21日朝に設置された、ようだ。幅約2メートルのテーブルに白いクロスがかけられ、花束や菓子が供えられていた。

テーブルの上には、
「守ってあげられなくてごめんね。安らかに眠って下さい」
「あなたの死をムダにはしないからね」
などと書かれていた、と記事は書いている。

市教委は、8月に男子生徒の自殺を公表したが、個人が特定される恐れのある情報は明らかにしなかった。しかも、学校では、生徒に対し、「(いじめの関係生徒以外には)家の都合で転校した」と説明していた、というのだ。

呆れ果てた「対応」である。
このような、「事なかれ主義の対応、考え」が、このような「犯罪」(あえて、このように書く)を産む土壌を作り出す。繰り返すことになる原因を作り出す。

そう思う。

仮に遺族が、本当に「学校名を公表」することを望んでいなかったにせよ、「学校」が、「生徒や保護者にいじめの事実を明らか」することについてまで、「望んでいなかった」とは、私には到底、思えない。

それでは、事実を「うやむや」にすることになり、何の対策にもならない。こういう「事件」では、遺族は、「二度と同じようなことが起きないよう」にと、望むのが「普通」ではないであろうか。

そうであってこそ、「被害者」も、浮かばれる、というものであろう。それを、「イジメ」(こういう表現は、本当に適当なのか、いつも疑問に思うことであるが)の事実があったことさえ、公表しないなどという事が、本当に許されるのであろうか。

文科省も、「それでいい」と了解したことなのであろうか。


◆ 第一に考えるべきは、「被害者」のこと

娘が、男子生徒と同級生だったという地元の男性が、献花に訪れた。

男性は、
「学校では彼が死んだことさえ『無かったこと』にされ、手を合わせる機会も、哀悼する場所もない。誰かが人間として当然のことをしてくれた」
と、話した。(同上)

まったく、同感である。これほどの「理不尽な対応」は、ない。

一方で、記事は、「住民には”子どもの動揺を誘う”と献花台設置を疑問視する声も」ある、と紹介している。これも、許されざる「意見だ」と、思う。

もっと、「腹の立つこと」は、「許可なく公共スペースに設置され、都市公園法に違反している。自主的な撤去をお願いしたい」という市役所の対応だ。

「血も涙もない」とは、このことである。このようなことをされれば、「噂」があって、学校が特定されることを恐れてのことであろうが、あまりに「杓子定規」にすぎる。

「事なかれ主義」にすぎる。本はといえば、市教委の「対応」に問題がある。これが、元凶である。例え、遺族の「意思」であろうと、事実を公表すべきであった。

そのことで、二重に「遺族を苦しめるようなこと」は、避けなければならないのは、当然のことであるとしても、「被害者」のためにも、遺族を説得すべきであった。

亡くなったのは、遺族ではなく「被害者」当人である。まず、第一に考えるべきは、「被害者」のことだ。


◆ 再発防止には、「事件」の公表と、「事実」の究明をすべき

それにしても、こういう「事件」が後を絶たない。しかも、事件についての詳しい情報が、この例でも分かるように、ほとんど明らかにされない。そして、それはほとんどの場合、「被害者を守る」ためというよりは、「加害者を守る」ため、という理由からだ。

これでは、本末転倒である。

「責められるべき」は、あくまでも「加害者」側であるはずだ。それを守るために、学校や教育員会が、「イジメ」の事実を公表しないなど、絶対に「あってはならない」、ことだ。

そんなことをするから、「イジメ」がなくならないし、「自殺者」まで出すことになる。事件を公表し、しっかりと事実を究明してこそ、このような事件の再発を防ぐことが出来る、と思うのだ。

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 この記事を投稿後、新たなニュースが、「続々」と報じられています。
この記事は、このままにして、新たに、追加の記事を投稿することを考えています。また、これ以前にも、河北新報が、詳しい事件の経過についての記事を掲載していることも、わかりました。

(2015年9月23日)