2015年9月24日木曜日

「転校した」と誤魔化す担任の教師 


<中1生「イジメ自殺」 【2】>
すべてが、異例の「事件」である。
仙台市の中学1年生が「イジメ」を受けた事件で、「自殺した生徒」は、「転校した」と、担任の教師は、同級生に説明をしていた。


仙台「イジメ自殺」事件について、報道されている「事実」に基づき、検討を加えてみたい。
「事実」と、カッコをつけたのには、「意味」がある。その実態について、「詳しい」ことが、解らないからである。「報道された限りの事実」しか、持ち合わせていないからである。


しかも、この「報道された限りの事実」では、その実態は、「まったく」といってよいほど、「あいまい」なものであり、到底、まともな「考察」が出来る「たぐい」のものにはなっていない。この点を「承知の上」での、検討である。

結論を先にいっておけば、こういう事件の元凶は、「誰も責任を取らない体質にある」、というになる。

これまでに事実が伏せられてきたのは、どうやら、「遺族の意向」も、あるようだ。従って、まず、「遺族の意向」から検討を始めたい。


◆ 活かされなかった、『遺族の意向』

(被害者の)両親は息子の死後、「くれぐれもこのようなことがないように」と学校側に念を押し、いじめ根絶に向けた取り組みを託していた。

だが、この「願い」は、裏切られた。生徒が、亡くなった後も、「イジメ」は、続いていた。両親は、「怒り、寂しさ、悔しさで体が震えた。息子の死が教訓になっていない」と、怒りを隠さない。

両親は、当初は次のような考えから、「”事件”を表ざたにしない」ことを、望んだのだと話す。「地域に余計な動揺を与えるのを避けるため、公表したくなかった。要らぬ混乱を招いたのであれば大変申し訳ない」

「酷な言い方」になるが、この「思い」が、かえって、「アダ」になった。学校側は、この両親の思いに「寄り添うこと」をせず―いわば―、「恩をアダで返した」ということになる。

今回の「事件」のキーワードの一つには、『遺族の意向』がある。市教委も、これを「盾にとって」1年後の、こんにちまで、情報を開示してこなかった。「事件」のことを隠し通してきた。

「事件」当時の、両親の対応は、「混乱」の中、「悲しみの中」のことでもあるから、「責められるべきこと」ではない、と思う。だが、このとき、両親が「毅然とした」対応をとっていれば、「今日の混乱」がなかったかもしれない。

結果として、この学校の生徒たちは、「事件」のことを知らされず、「被害生徒」のことを、自分たちに何の話もなく「転校」していった、「薄情もの」という印象を与えることになった。私は、そういう気がする。

しかも、彼らは、当事者でありながら、「部外者」として、「命の尊さ」を、「教えられ、諭され」続けてきた。


◆ 校長がとった生徒への対応

これほどの、「悲劇」があるだろうか。

市教委が会見を開いた後、男子生徒が通っていた学校では、臨時の全校集会がおこなわれた。その際に、校長が読み上げたのは、市教委が全市立学校に配布した再発防止を訴える緊急アピール文だけだった。

自校でのことには、一切触れなかった。そして、「自ら命を絶ってはならない。私たち大人が必ず皆さんを守る」と、宣言をした。これほどの「欺瞞にみちた」行いがあるだろうか。

校長の「講和」を聴きながら、「なんか違くない?」とささやく生徒もいたらしい。もっともなことだ。あらためて言うまでもなく、今は、ネット時代だ。しかも、彼らこそが、その「最先端」を行っている、のである。

校長の「講和」を、「そのままに信じる生徒がいる」と思う方が、認識が「甘い」というものだ。それにしても、恥ずかしげもなく、よくも「私たち大人が必ず皆さんを守る」などと、言えるものである。

「あきれてものも言えない」とは、このことである。

河北新聞の連載記事によると、「昨年秋の男子生徒の自殺は『遺族の意向』を盾に、この学校では『なかったこと』にされた。教員らは『新聞はでたらめ。信じないように』と、生徒たちに説明しているという」ことである。


ここまでくると、この「事件」が起きたことは、「この学校ありて、この教師らありて、この事件」と思えてくる。これでは、「被害生徒」は、「いつまでたっても」に浮かばれまい。


◆ 「逃げの一手」に徹した市教委の対応

市教委は、具体名をひたすら覆い隠す記者会見を行った。仙台市教委は21日夕、仙台市立中1年の男子生徒=当時(12)=が自殺していたことを明らかにした。

「昨年、市立中1年の男子生徒が自殺した」
「第三者委員会の調査で、校内のいじめが自殺と関連性があるとされた」

市教委が市役所で開いた会見で説明したのは、この2点がほぼ全てであった、という。男子生徒の氏名や年齢、学校名はもとより、実際には昨年9月下旬だった自殺の時期を問う質問にも答えな」いという、「前代未聞の会見」をおこなった。

これでは、何のための会見であるのかわからない。詳しい説明を拒み、公表遅れの理由なども含め「遺族の意向」と繰り返すばかりの会見であった、ようだ。

会見を伝えるニュースでは、「頭を深々と下げる」幹部の姿が写っている。一体、彼らは、「何を謝罪」し、「誰に頭を下げた」のであろうか。

私たちは、これと同じ光景を何度みてきたことであろうか。そして、これから先に、何度見せられ続けることになるのであろうか。「まったく、やりきれない」


◆ 「エスカレートするイジメ」と、「戸惑う」生徒

「自ら命を絶ってはならない。私たち大人が必ず皆さんを守る」と、生徒に「講和」を行った、校長。だが、学校側の姿勢は、これからも「事実をつまびらかにしない」という考えを押し通すつもりのようだ。

市教委の会見後に、校長は、さらに驚くべき対応をとった。

「臆測で物を言わない」
「個人情報は出さない」
「個人情報を出すと名誉毀損(きそん)になる」
と、生徒を「脅した」のである。

全校集会で、校長が「命の重み」を説く中でにおいても「いじめに関与したとみられる生徒たちに反省するそぶりがないことを知り」、「もう駄目」とショックで寝込んでしまう、生徒もでた、という。

保護者は、「先生たちはまるで人ごとのような態度。子どもたちは何を信じていいか分からなくなっている」と、はなす。それもそのはずだ。彼らは、「被害生徒」が、「転校していった」と聞かされてきたのであるからだ。

「被害にあった生徒」への「イジメ」がエスカレートしていったのは、「謝罪の会」―「いじめた側」の生徒をあつめて「指導」を行う会、であったようだ―が、2回おこなわれた「後」であった。

「いじめた側の生徒」が、これを「被害生徒が、”ちくった”」ためと受け取り、余計に「イジメ」がひどくなっていった。これは、当然、「予想される」ことだ。担任の教師の対応に問題があった、と断ぜざるをえない。


◆ 「誰も責任を取らない」体質が、元凶

現状のままでは、「混乱」は、おさまることはないであろう。それどころか、もっと「ヒドク」なる、と思われる。その原因は、「責任をはっきり」とさせないことにある。

校長の対応にある。教師らの対応にある。おそらく、この「担任は、今頃は、別の学校に転勤になり、「なく食わぬ顔で生徒を教えている」ことであろう。他の教師も、そのうちの「転勤」になることだろう。

校長も、やがては、退職をするか、転勤になるだろう。あるいは、「退職」という道を選ぶかもしれない。そうなると、誰も「責任をとる者」がいなくなる。市教委も、「こちらに手落ちはない」と言うことだろう。

「遺族の意向」を盾にとっての、「ドタバタ劇」であるが、その遺族は、「公園の献花台」の設置に感謝をし、その公園に足を運んだ、と報じられている。

市教委や、校長が言う「遺族の意向」とは、一体、どんなものであったのか。その検証が必要であろう。

この学校では、このような事件が、1998年にあった。
「学校が問題をうやむやにするため、いじめが止まらない。自校で自殺があったことを認めず、踏み込んだ指導ができるのか」

住民の一人は、このように話す。ここに、問題の「本質」がある、と感じる。

※ この記事では、意識的に「学校」という表現をさけた。それでは、「責任の所在」がはっきりとしない、と思うからである。

※ 写真の差し替え、改題して、再投稿しました。

(2015年9月24日)