2015年9月28日月曜日

「部活でトラブル」か、女子高生が「自らの命を絶つ」 


<「部活がそれほど大切か【上】>
また、「ひとつの若い命」が、失われた。
どんなことがあったのか、解らないが、「痛ましい」事件である。
また、教育委員会による、「いつもながら」の光景が繰り返された。

 女子高生が、「自らの命を絶つ」 

『河北新報』が、「校内女子高生自殺 人間関係でトラブルか」という記事を載せた。女子高生が、通学している学校の「トイレ」で、自らの命を絶った。
まことにいたましい事件である。

これまでの例にもれず、教育委員会は記者会見の席で、頭を深々と下げ、謝罪した。

だが、一体、彼らは、「誰に、何を」あやまるために、「頭を下げた」のであろうか。いつもながらの光景であるが、今もって、私は、このことが理解できない。

たんに世間的な儀礼のために「頭を下げた」のなら、とんでもない思い違いである。世間の人は、「頭を下げた」ぐらいのことで、納得はしていない。

今、教育委員会がすべきことは、「事実の解明」をしっかりと行い、おなじような「悲劇」が起こらないように、徹底した対策を講じることである。

この会見で、どこまで、校長や担任の教師、部活の担当教師らの対応について、公表されたのか。この記事からは、読み取ることは出来ない。もともと、その程度の会見であったのか。

「二度とこういう事が起こらないように、指導を徹底したい」というのが、こういう席での「常套句」であるが、これが守られたことは、これまでに一度として、ない。


◆ 教育の目的は、「人格の完成」を目指して行われるべきこと

今の教育基本法は、どうなっているのかまで調べてはいないが、教育の目的は、「人格の完成」を目指して行うことにある、と思う。数学が出来るとか、英語の成績がいいとか、スポーツが得意とかいうことは、(直接的には)関係がない。

もちろん、勉強ができ、スポーツが出来るに「こした」ことはない。だが、それはあくまでも、二次的なことである。教育で大切なことは、「自分を知る」ということであり、「他人を知る」という事である。

自分を大切にする。そういう気持ちがあってこそ、他人を大切にできる。自分の尊厳を守る。その事の重要さを解ってこそ、他人の尊厳を守ることが出来る。

自分が自分を大切に思うように、他人も「自分を、大事に思っている」のだという事が解る。自分の痛みが解れば、他人の痛みが解る。そういう「人間として、忘れてはなないこと」を教えるのが、教育の目的である、と思う。

わが子が、学校に通うことで、「人の痛みの解らない人間」になったり、「人が苦しんでいるのを、平気で見ておれるような人間」に、「冷血漢」になることを望む親はいない、と信じたい。

「精神が十分に発達」していなくても、年齢に合わせた教育。「人間の尊厳をお互いに大事にする」という事の大切さを教える教育は、出来るはずだ。

今の教育は、「テストの成績」ばかりに注意が向けられ、肝心の「人間教育」という事が、おろそかにされているという気がする。


 「どれだけ生徒に寄り添えるか」、それが問題だ

しかも、文科省は、「道徳心」や、「郷土愛」などという、「とんでもない」教育内容を、子供らに押し付けている。それは、「国家にとって都合のいい人間」を作り上げるという事においては、「意味がある」かも知れないが、生徒個人にとっては、まったく「関係のない」ことである。

それどころか、国が生徒に押し付けるべき「教育内容」ではない。「道徳心」や、「郷土愛」などいうものは、「個人の心の中」の問題であり、学校と言えども、立ち入るべき事柄ではない。

教師が忙しくて、「目が隅々まで行き届かない」という「嘆き」を耳にする。だが、少子化で、児童や生徒が減ってきている、と思う。もし、そうであれば、「一人一人を大切にする」、「目配りをしっかりと行う」教育が、出来る条件が整ってきている、とおもえるのだが。

手厚い教育が出来る条件下にある、といえる。そう思うのであるが、実態はそうではないのだろうか。

また、「身体が大きい」からと言って、「心まで大きい(=成長している)」と思うのは、「早合点」である。高校を卒業する頃までは、「精神の起伏に富んだ」時代である。

見かけばかりにとらわれず、「心の動きの変化」を、見逃さないことが重要になってくる。「干渉」しすぎてもいけないし、「放任」もいけない。難しい「季節(=世代)」なのである。

少なくとも、「このこと」を「心に留めて」おけば、大事には、「至る前」に、食い止めることが出来る、という気がするのだが・・・。

子育てや、教育をする上において、参考になる「ことわざ」がある。
「子供叱るな来た道だもの。 年寄り笑うな行く道だもの」

ちょっと、「道徳がかった」締めくくりになった。個別具体的なことは、「情報開示」が十分に行われない状況下では、コメントできない。

ごく、一般的なことについての感想である。

 大幅に加筆して、再送しました。

(2015年9月28日)