2015年9月28日月曜日

丸山真男が重要視「日常的継続的な政治行動の必要性」

<web上「読書会」 丸山 ”思想と行動”(1)>
安保法案に反対する「デモ」では、SEALDs(シールズ)という団体が、目立ちました。彼らの正式名は、「自由と民主主義のための学生緊急行動」であり、学生の集まりです。彼
らの活動は、丸山真男が重要視した些細であるが、「日常的継続政治行動」を実現するものである、と思います。


丸山真男が強調したことは、日々の暮らしの中における「些細」であっても、継続的な行動こそが、デモクラシーを実現し、発展させる、ということにあったと思ます。

彼の略歴を記しておきます。

丸山 眞男(まるやま まさお、1914年(大正3年)3月22日 - 1996年(平成8年)8月15日)は、日本の政治学者、思想史家。東京大学名誉教授、日本学士院会員。専攻は日本政治思想史。

丸山の学問は「丸山政治学」「丸山思想史学」と呼ばれ、経済史学者・大塚久雄の「大塚史学」と並び称された。マックス・ヴェーバーの影響を強く受けた学者の一人です。(wikipedia)

これは、大ベストセラーの『増補版 現代政治の思想と行動』未来社、より「現代における態度決定」という論文からの引用です。(実際には、講演会での発言をまとめたもの。)

引用文は、読みやすいように適当に、区切りを入れました。


◆ 「不作為の責任」の章からの引用

≪政治行動というものの考え方を、なにか普通人の手のとどかない雲上の特殊なサークルで、風変わりな人間によって行われる仕事と考えないで、または私たちの平凡な日常生活を断念してまったく別の世界に飛び込むことのように考えないで、私たちのごく平凡な毎日毎日の仕事のなかのほんの一部であっても持続的に座を占める仕事として、ごく平凡な小さな社会的義務の履行の一部として考える習慣―それが、どんな壮大なイデオロギー、どんな形式的に整備された制度にもましてデモクラシーの本当の基礎です。

ギリシアの都市国家の直接民主制の伝統といったものは、あるいは私たちの国にかけていることかもしれません。

しかし私たちの思想的伝統には「在家仏教」という立派な考え方があります。これを翻案すれば、非職業政治家の政治活動という考え方になります。政治行動というものは政治の世界「出家」しなければできないものではありません

もし政治活動を政治家や議員のように直接政治を目的とする人間、あるいは政党のように直接政治を目的とする団体に限ったら、その瞬間からデモクラシーというものは死んでしまいます。

ちょうど宗教が坊さんだけの事柄ということになったら、宗教の生命力が失われるのと同じです。デモクラシーの発展ということは、この観点から見ますならば、つまりそれは職業政治家のよって構成されると特殊の世界、俗にいわれる政界によって政治が独占されている状態から、それがだんだん解放されてきた過程でもあります。

ということはデモクラシーというものは一つのパラドックスを含んでいるということです。つまり本来政治を職業としない、または政治を目的としない人間の政治活動によってこそデモクラシーはつねに生き生きとした生命をあたえられるということであります。

議会政治もまた決してその例外ではありません。議会政治とは決して議員政治ということではありませんし、いわんや国会の立派な建物が厳然とそびえたっていることが議会政治の健全の証明でもありません。デモクラシーのなかった戦争中にも、こっかいのなかで翼賛議会は毎回開かれていました。

    --(略)ーー

「もしこれらの代議士たちが、何らかの目に余る悪名高い法令とか、重大な改革によって、法の柵を踏みにじったり、勝手な権力を行使するように見えたときは、いつ何どきたりとも、人民という団体自治が介入しなければならない。

それ以外に代議士たちに、いつも公共の利益に対して、相応の考慮を払う態度を維持させる方法というものを、私は見出すことが出来ない。

こういう人民の直接介入ということは、じつはもっと不愉快な救済策である。けれども、それ以外の方法では、憲法の真の原則を保持することができないというようなことが明瞭である時は、それは許されて然るべきである。」

イギリスの議会政治の基礎付けをした、保守主義の思想家によってそういうことがいわれている。これがつまり議会政治のコモンセンスであります。

人民が「何時たりとも」そういう行動をとるということは、とつぜんできることではなく、人民が日々に、寸暇を割いても、自分たちの代表者の行動を監視しているという前提があって初めてできる事です。

毎日毎日をとってみれば、きわめて小さな関心と行動がじつは大きな制度の生命を動かしているわけです。繰り返して譬えていえばお葬式の時だけ思いだすような宗教は死んだ宗教であり、そういうお寺は民衆の日常生活と隔絶した特殊地帯にすぎません。≫


◆ 「日々の暮らし」における些細でも、継続した行動が大切

講演は、「憲法問題研究会」の記念講演として、1959年(昭和34年)5月3日におこなわれました。

丸山 眞男は、「民主主義を目指しての日々の努力の中にこそ、民主主義は見出される」と考えていました。我々の現前に「当然にあるもの」としてではなく、我々の「努力によって」造りだしていくべきものと、考えていたのだと思います。

民主主義を「常に形成過程にあるもの」と捉えていた、と思います。
そのことをよく表しているのが、上に引用した文章である、と思います。


※ あたらしい「ラベル」をつくりました。

少し古い言葉になるかも知れませんが、『抜き書き帳」と名前を付けました。

南方熊楠は、小さいころから、本の抜き書きをすることで知識の蓄積をしてきたそうです。イギリスにいた頃は、毎日大英博物館に行き、ありとあらゆる本を「書き写す」日々をすごしていた、といわれています。

私も南方熊楠に習って、遅まきながらも、本の抜き書きに挑戦したいと考えました。スキャンするのではなく、「タイピング」の練習を兼ねて、手で入力しいく方法で進めたいと思います。

「印象に残った」ページ、「知識や知恵を授けてくれる」ページなどの、抜書きを作っていこうと思います。

(2015年9月28日)

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