安保法案の国会での審議が、「大詰めに近づいている」と、盛んにマスコミが、書きたてている。
安倍首相が、総裁になったことで、はやくも、「人事」に関心が、行っているように見受けられる。
だが、依然として、今の日本にとっての「今そこにある危機」は、安保法案の「行方」についてである。ところで、安倍首相は、必ずしも「出す」必要がない、という意見がある中、「戦後70年談話」を、出した。
当初は、安倍首相が「単独で出す」方針である、とささやかれていた。菅長官も、7月の初めごろには、「まだ、何も決まっていない」と発言していた。
このブログにおいて、3回にわたり、この「戦後70年談話」についての感想や意見を、記事にした。だが、「ポツダム宣言」や、「日米安保体制」との関連については、あまり詳しく言及をしなかった。
そこで、改めて、「戦後70年談話」と、これらのことについて、思うところを述べてみたい。
◆ 背負わせてはならないのは、「謝罪する」ことだけではない
「戦後70年談話」で、 安倍首相は、日本で戦後生まれの世代が、人口の八割を超えている、との認識を示した後で、次のように述べた。
ここでは、別の視点から、考えてみる。
それは、広い意味での国家の「安全保障」との関連についてである。さらに、戦後の日本における米国との関係についてだ。
具体的には、以下のような「キーワード」が、そのポイントになる、と考える。
日米安保条約。
日米地位協定や、ガイドライン。
沖縄をはじめとする、在日米軍基地の存在。
原爆投下(=攻撃)や、日本の主要都市への「無差別」の「爆弾攻撃」の「非人間性」への「被害」への、米国の「責任」追及。
◆ 「米国への従属」を断ち切る、と言及、明言すべきであった
「戦後70年談話」においては、もちろん、近隣諸国への「配慮」は当然のことであろうが、何よりも重要視すべきは、日本の国民に向かって、何を「表明」するのかという事である。
安倍首相は、本来であれば、いかなる「方針」の下に、今後の政治を行っていこうと考えているのか、ということについて「表明」をすべきであった。
それには、「近隣諸国への謝罪」とともに、「米国への従属」を断ち切る、という事についても、言及、明言すべきであった、と思う。
つまり、安倍首相が、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というのであれば、現在の「米国への従属」下にある現状についても、言及すべきであった。
戦後70年。沖縄は、特に、「戦後の日米安保体制」による、「被害」を受け続けてきた。それは、今もって解消されてはいない。
それどころか、「世界で一番危険な基地をなくす」という「掛け声」の下に、新たな「負担」を押し付けられようとしている。あの「美しい」、沖縄の「誇り」と言ってよいと思われる辺野古の海が、国家権力によって「蹂躙」されている。
もちろん、、それは沖縄に限ったことではない。
今、沖縄に起こっていることは、今後は「内地」においても、「無関係」のことではない。
同じようなことが、-恐らくは、それ以上の事がー起こる可能性を「否定」することが、出来ない。これは、日本の全土が、「沖縄化」されるという事に他ならない。
最早、「沖縄」のことを、「他人ごと」とは言っておれないのだ。
◆ 「ポツダム宣言」の順守を世界に対して、「要求」すべきであった
その事の根本には、日米安保条約の存在がある。そして、このことは、在日米軍基地と関連があることについては、今更言うまでもないことである。
日米安保条約に関連する、日米地位協定、ガイドラインの存在も、軽視できない。
そして、最も重要なのは、「ポツダム宣言」である。
安倍首相は、党首討論で、「ポツダム宣言」について聴かれたときに、「詳らかには読んでいない」と、答えた。このこと自体、驚くべきことであるが、問題は、ほかにもある。
「ポツダム宣言」の「12項」は、「連合国占領軍は、その目的達成後そして日本人民の自由なる意志に従って、平和的傾向を帯びかつ責任ある政府が樹立されるに置いては、直ちに日本より撤退するものとする」事を、約束している。
この約束は、今もって果たされてはいない。
「連合国占領軍」が、今も尚、日本の国土に居座って、「占領」を続けている。
安倍首相が、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、・・・・続ける宿命を背負わせてはなりません」と思うのであれば、「この状況の解消に全力を尽くす」と宣言すべきであった。
オバマ政権の「言いなり」になるような安保法案を「撤回」し、日米安保条約の「破棄」を通告することを、宣言すべきであった。
そうしてこそ、初めて、「戦後70年談話」を出す意味があった、といえる。
将来の日本の、「禍根を断つ」事が出来た、と思う。
そうしてこそ、真の「独立国家としての道」を歩むことが出来る条件が整った、といえる。それこそが、「日本を取り戻す」という事に他ならない、と思う。
(関連記事案内)
・ポツダム宣言の否認から戦争で食っていく国へ=兵頭正俊
・「米軍違憲」判決こそが9条の精神 日本司法への米政府干渉・・=JALISA
(2015年9月13日)
安倍首相が、総裁になったことで、はやくも、「人事」に関心が、行っているように見受けられる。
だが、依然として、今の日本にとっての「今そこにある危機」は、安保法案の「行方」についてである。ところで、安倍首相は、必ずしも「出す」必要がない、という意見がある中、「戦後70年談話」を、出した。
当初は、安倍首相が「単独で出す」方針である、とささやかれていた。菅長官も、7月の初めごろには、「まだ、何も決まっていない」と発言していた。
このブログにおいて、3回にわたり、この「戦後70年談話」についての感想や意見を、記事にした。だが、「ポツダム宣言」や、「日米安保体制」との関連については、あまり詳しく言及をしなかった。
そこで、改めて、「戦後70年談話」と、これらのことについて、思うところを述べてみたい。
◆ 背負わせてはならないのは、「謝罪する」ことだけではない
「戦後70年談話」で、 安倍首相は、日本で戦後生まれの世代が、人口の八割を超えている、との認識を示した後で、次のように述べた。
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」この「文章」自体については、このブログで、すでに検討済みである。
ここでは、別の視点から、考えてみる。
それは、広い意味での国家の「安全保障」との関連についてである。さらに、戦後の日本における米国との関係についてだ。
具体的には、以下のような「キーワード」が、そのポイントになる、と考える。
日米安保条約。
日米地位協定や、ガイドライン。
沖縄をはじめとする、在日米軍基地の存在。
原爆投下(=攻撃)や、日本の主要都市への「無差別」の「爆弾攻撃」の「非人間性」への「被害」への、米国の「責任」追及。
◆ 「米国への従属」を断ち切る、と言及、明言すべきであった
「戦後70年談話」においては、もちろん、近隣諸国への「配慮」は当然のことであろうが、何よりも重要視すべきは、日本の国民に向かって、何を「表明」するのかという事である。
安倍首相は、本来であれば、いかなる「方針」の下に、今後の政治を行っていこうと考えているのか、ということについて「表明」をすべきであった。
それには、「近隣諸国への謝罪」とともに、「米国への従属」を断ち切る、という事についても、言及、明言すべきであった、と思う。
つまり、安倍首相が、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というのであれば、現在の「米国への従属」下にある現状についても、言及すべきであった。
戦後70年。沖縄は、特に、「戦後の日米安保体制」による、「被害」を受け続けてきた。それは、今もって解消されてはいない。
それどころか、「世界で一番危険な基地をなくす」という「掛け声」の下に、新たな「負担」を押し付けられようとしている。あの「美しい」、沖縄の「誇り」と言ってよいと思われる辺野古の海が、国家権力によって「蹂躙」されている。
もちろん、、それは沖縄に限ったことではない。
今、沖縄に起こっていることは、今後は「内地」においても、「無関係」のことではない。
同じようなことが、-恐らくは、それ以上の事がー起こる可能性を「否定」することが、出来ない。これは、日本の全土が、「沖縄化」されるという事に他ならない。
最早、「沖縄」のことを、「他人ごと」とは言っておれないのだ。
◆ 「ポツダム宣言」の順守を世界に対して、「要求」すべきであった
その事の根本には、日米安保条約の存在がある。そして、このことは、在日米軍基地と関連があることについては、今更言うまでもないことである。
日米安保条約に関連する、日米地位協定、ガイドラインの存在も、軽視できない。
そして、最も重要なのは、「ポツダム宣言」である。
安倍首相は、党首討論で、「ポツダム宣言」について聴かれたときに、「詳らかには読んでいない」と、答えた。このこと自体、驚くべきことであるが、問題は、ほかにもある。
「ポツダム宣言」の「12項」は、「連合国占領軍は、その目的達成後そして日本人民の自由なる意志に従って、平和的傾向を帯びかつ責任ある政府が樹立されるに置いては、直ちに日本より撤退するものとする」事を、約束している。
この約束は、今もって果たされてはいない。
「連合国占領軍」が、今も尚、日本の国土に居座って、「占領」を続けている。
安倍首相が、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、・・・・続ける宿命を背負わせてはなりません」と思うのであれば、「この状況の解消に全力を尽くす」と宣言すべきであった。
オバマ政権の「言いなり」になるような安保法案を「撤回」し、日米安保条約の「破棄」を通告することを、宣言すべきであった。
そうしてこそ、初めて、「戦後70年談話」を出す意味があった、といえる。
将来の日本の、「禍根を断つ」事が出来た、と思う。
そうしてこそ、真の「独立国家としての道」を歩むことが出来る条件が整った、といえる。それこそが、「日本を取り戻す」という事に他ならない、と思う。
(関連記事案内)
・ポツダム宣言の否認から戦争で食っていく国へ=兵頭正俊
・「米軍違憲」判決こそが9条の精神 日本司法への米政府干渉・・=JALISA
(2015年9月13日)