きょうは、「記念すべき日」である。
2015年9月19日をもって、日本の国会は、「死んだ」。
きょう、国会が「死んだ」事は、この日本の国が、「いまだ、”民主主義国家”に非ず」ということの、証明である。
国会の死の原因は、「自殺」であった。
国会自らが、言論の府であることを、拒否した。
このことは、永遠に、日本の歴史に刻むべきできごとである。
この法案に反対した、多くの日本人は、このことを決して忘れることがない。
昨日に国会で、口では「民主主義、民主主義」といいながら、実は、「中身のない」、まったく「空疎」な国家、国民であること、が明らかにされた。
それが、満天下に晒されることになった。
今後の日本は、世界からは、「独裁者が支配する」国家として、認定されることになるだろう。
民主主義の要諦は、「率直で、力を込めた討論にある」とされる。昨日の国会は、衆議院、参議院の両院が、この「率直で、力をこめた討論」、「自由な討論」を封じた。
趣旨説明や、討議に時間制限を付けたのである。言論で「戦うべき」国会で、発言時間に制限を加えたのである。
それが、5時間というようなものであれば、まだ許せる。
制限時間は、10分、25分というような信じられないほどの短い時間に、制限をされた。
このことは、国民の一人として、到底容認することが出来ない。
断固として、「抗議」する。これは、「言論の府」である国会の「自殺」である。
また、参議院は、地方公聴会を開きながら、その「成果」を国会に報告をしていないことが明らかになった。
このことも、国民を「愚弄」する暴挙であり、決して、容認できない。
昨日、日本の国会が「死んだ」ことの責任は、与党にある。
そして、与党を助けた、元気、改革、次世代の3野党にある。
国会を「死に至らしめた」責任をとって、解党すべきである。
(2015年9月19日)