2016年9月20日火曜日

大佛次郎著『天皇の世紀』咸臨丸、勝や榎本を乗せ長崎から鹿児島に入る

『天皇の世紀』 1 大佛次郎 p.428/429

鹿児島藩は江戸から地理的に最も遠く閉鎖された国で、政治的にも幕府の勢力に対し独立した色彩の強い土地であった。関ヶ原の戦いに敗れて以来、中央に服従しているが
、剛健な士風が関ヶ原の遺恨を留めて復讐する機会を待っているとも喧伝された。


カッテンデイーケは、幕府の支配の外にある大藩の領土に、初めて足を入れるのを許された。以前から疑問を抱いた中央と列藩との関係を確かめてみる機会を得たわけで、この航海には興味を持った。

搭乗していく幕臣の勝麟太郎、榎本釜次郎なども普通の場合、薩摩に入国することはまだ困難だった時代である。咸臨丸が鹿児島の城下まで入るのを許されるとは、彼等も予期しない。山川港まで行き、その先は進めないものと信じていた。何があるか、薩摩は他領の者が覗くのを許さない国柄であった。・・・




『藩侯(島津斉彬)が船に着いたのは午前9時であった。彼は勝氏その他の旗本生徒の出迎えを受けた。...藩侯はこのとき44歳であったというが、見たところ老けていた。人づきは非常によかった。彼は至って人なつこかったが、ある人の言うところによれば、その感情をありのままに現す癖があった。それ故、将軍とは近親関係にありながら幕府の役人中には敵が多かった。

このことは、将軍の個人的勢力が人の考えているほど、それほど大きなものでない証拠である。またしばしば聞いたところによれば、幕府のことは万事大老の意思一つによって決するということである。だから大老はちょうどイギリスの首相と同じような役割を演ずるのである。』(二重括弧は、カッテンデイーケ中佐の日記からの、引用になっています)

(2016年9月20日)

0 件のコメント: