2016年9月25日日曜日

大佛次郎著『天皇の世紀』長崎での鼓笛による教練を、鹿児島藩が採用する

<大佛次郎『天皇の世紀』 1>
「下士官以下の乗り組み員には、別に食事の用意がされてあって、卓上には食べ物が山ほど積まれてあった。この宴会で、酒が水のごとくふんだんに振る舞われたが、何の不祥事も起こらなかったのは



幸いだと思った。食後お庭下の海浜で種々雑多な服装をした3百人藩士の錬兵が行われた。

伝習所教官(オランダ人)の兵曹は、執銃訓練の指揮をしてくれと頼まれ、なかなか手際よくやってのけた。3名の鼓手は、勇ましくマーチを奏した。その軍鼓は私が初めて日本に紹介したのである。

これによってみても、日本人が如何に好んで、我々のものを取り入れているのかがよく分かる。」

長崎で教えた太鼓が、いつの間にか鹿児島城下で採用されていて、カッテンディーケの立会う前で実演されたのである。驚きもし愉快でもあったろう。



前回の訪問の際に、鹿児島の防衛について意見を求められた時、カッテンディーケは、海中に岩礁のあるのを見て、あれを利用してどうかと、何気なく進言した。

そしてその時から二か月そこそこに来てその岩礁の近くを通ってみると、「すでに実際にその一部が岩の塊で固められ、それが水上堡塁になるのだと聞かされた時の我々の驚きったらなかった。

我々が右に言ったような意見を述べたのは、まだ僅か二か月ばかり以前のことに過ぎない。

元来日本では、何事も評議に長い時間が費やされるのが普通である。その日本で、こんなにも早く、これほど費用もかかるであろう大事業が実施されようとは、また我々の言がこれほどまでも尊重されようとは、全然予想もしなかったのである。

後に我々はその鹿児島防備の設計図を見せられたが、それを見ても、その岩礁が役立つ場所にあることを知った。

そうして藩侯は、すでに以前から、その上に堡塁を構築する計画を樹てていたと思われるのである。」

「我々は今一度工場を巡視した。藩侯はその工場に、今郊外にある製銃所をこの処に移して、もっと拡張する計画を立てている。

我々は今朝既にその銃製所を見物して、そこで作られるミニエ銃を見たのであった。この銃の銃身は、鉄の性質が非常に良いので優秀である。

またここで雷管も作られているが、それは一つの型の上で打たれ、そうして黒い渦巻をもって満たされている。



また日本製の電信機も見せられたが、それはモールス機に倣って作ったもの
である。それだのに、何故この有益なる機械を使って、国内の通信を便利にしないのか、不思議でならない。

現に国内の通信は面倒で不便極まる方法で行われている。例えば、いま長崎から江戸まで通信するには20日を要する。

しかし特別に高い料金を払い、かつ途中大河が大雨で川止めにでもならなければ10日で済む。」(p、436-439)

(2016年9月25日)

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