2016年9月21日水曜日

大佛次郎著『天皇の世紀』 鹿児島は我々(オランダ人)が想像していたような小さな田舎町ではなかった

『天皇の世紀』 1

『12時、船は藩侯の海水浴場となっている海岸に儲けられた天幕の前に来た。そのとき藩侯は我々に、ぜひ一度鹿児島の砲台や、いろいろの工場を仔細に視察し、
我々(オランダ人)の意見を遠慮なく聞かしてくれるようにと勧めて船を下りて行った。』


4時には鹿児島の沖に着いた。町は、高い塁壁に囲まれた一連の砲台の背後に平地に展開する。

『これはまたどうしたことか、通行人の夥しいこと、岩石で築かれた波止場、無数の銃眼、最後に泊地に投錨した汽船までも目に映って、鹿児島は我々が想像していたような小さな田舎町ではなく、人口4、50万を算える日本国中の大都市の一つであることを知ったときの我々の驚きといったらなかった。

鹿児島の備えは行き届いている。そして時世に遥かに先んじている主君の統治下にあるのだ。』



薩摩と長州との二つの藩が、早い財政改革に依って、封建的に孤立した経済から逃れて、広域の流通経済に移りかけていた。

幕府のみならず水戸のような大藩以下の列藩が財政上、崩壊するばかりに窮迫していたのにくらべ、薩長とも富強な、実力ある立場を築きあげていた。地方的な独立国の実質を潜在させていたと称してよかろう。(p、430─431)

 ツイッターで投稿した記事を見つけることができません。ので、このまま、先に筆を進めたく思います。少しづつ、前後のつながりが出来るように、調整していきますので、しばらくの間、猶予を下さい。)

(2016年9月21日)

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