2016年9月27日火曜日

大佛次郎著『天皇の世紀』吉田松陰 ペリーの軍艦で渡米を企てる

<大佛次郎『天皇の世紀』 1>
ーー話は、「物語」の最初に戻りますーー
旅嫌いの日本人が幕末近くになると、外に出かけるようになる。生まれた家で暮らすだけの理由を失っていたし、経済的にも家においては養いきれぬ人員が出た。


何となく現状が不安である。人間の生活が活発である都市に出たり、知らぬ遠方の土地へ行って国情や人に心の動きを知ろうと求めたもののようである。遠国の人々にも自分と共通する心を見出すように成った。

京都の禁裏に住む公卿には、幕府の拘束があって、そうした自由が考えられなかった。

しかし、列藩の武士たち、特に若い人々の間に、一代前には父兄が安心していた空気とは違って、何かの心の渇きを覚え、それが何か自分も知らずに他国を知ろうとする漠然とした志をもつ者が出てきていた。

未来をさぐろうとする新しい情熱である。もちろん、 家の生活に不自由を感じ始めていたのが原因で、次男三男の部屋住みの者にこの傾向が強く、また努力しても身分の序列以上に出られぬと知っている小身軽輩の中の勇気ある者に、渇きは強かったろう。

絶望しなければ、貧乏は若い者に、いつも力となってくれる。

若き日の吉田松陰像
長州の吉田松陰の若い日の旅もそれである。何のためのものか、何を求めて出たのか、ほとんど自分でははっきりとしていなかったろう。ただ、誰かに会って強い渇きを癒そうと漠然と求めていた。

今日と違うとして二十ぐらいの青年で、どこへ行っても彼は自分が何も知らないのに気がつく。しかし、惑いながら何かを発見したい熱情に取り憑かれている。

精神は純粋で高邁であった。やがて終わる短い人生の中にも、長崎に行くかと思うと熊本に横井小楠を訪ね、江戸に佐久間象山の門をたたき、大日本史の水戸の学者たちと対話し、やがて、ペリーの軍艦に頼んで大胆にもアメリカにまで渡ろうと企てるだ。

疲れることを知らない彷徨である。彼の生まれた萩の町は、当時の日本としては随分遠く奥深い土地で、現代でも閑散と無為に、美しいまま損なわれぬ山と海につつまれている小さな城下町だ。

牢屋に入るためにその故郷の土地に帰るまで、松陰はこの遍歴を続けている。

もっと目標が明確で動揺しなかったのは、半世紀間も前から続けられてきた一部の人たちの蘭学への関心である。

蘭学といえば、オランダ語の勉強のことだけだが、それは狭い入口だけのことであって、内に入ると、彼らには未知の西洋の科学が、どこまでも遠く深いか予測もつかず広がっていた。

圧迫を受けながら蘭学の研究だけが一部だけ認められていた。漆黒の闇夜を手さぐりで行くような経過の「蘭学事始」の執念のような忍耐強い究明が、自由人である医学生たちのよって始められていた。

医学のうしろに、まだ奥があるのだ。心ふるう思いでそれを追っていた人々である。(p・58-59)

(2016年9月27日)








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