2016年9月23日金曜日

戦争犯罪人が、日本の戦争指導の責任者であるなら・・・

『講和条約』 Ⅰ
重光外相は手記している。

「上に立つ指導者、政治家は、戦争責任に問われて敵の手に身の及ばんことを恐れ、戦争責任の転嫁に是汲々たる有様である。
これは、最高責任者より財界も実業界も新聞界も、はたまた右翼陣営も同様であるのは、むしろ奇観である。」


外相にしてみれば、既述したように、敗北という「禍」も、ポツダム宣言の実行で「福」――日本再生ーーに転化できると信じている。

そして、「宣言」を確実かつ迅速に履行すれば、米国側は満足し、占領も早く終わるはずである。

戦争犯罪人問題に「頓着」無用と外相が首相に述べたものも、その含意があってのことであった。

だが、見方を変えれば、外相も批判の対象になる。

戦争犯罪人は、日本の戦争指導の責任者だとされるが、そうなると、各界のトップ、準トップはすべて含まれる。戦時中にその地位についた人々だからである。

全員が処刑されれば、国政の機能は麻痺するであろう。

首相が戦争犯罪人問題に不安を持つのは、その種の事態を懸念するためであり、保身だけではない。

それに東久邇宮にしても、首相は陸軍大将で、米軍飛行士処刑にも関連がある防衛司令官をつとめた。

国務大臣近衛文麿公爵は、「シナ事変」から太平洋戦争の直後まで、まさに日本の太平洋戦争への道の指導者である。

商工相中島知久平は、陸軍の主力戦闘機「隼」を生産した「中島飛行機」社長。

内閣書記官緒方竹虎は、『東京朝日新聞』副社長から小磯内閣の情報局総裁になり、言路統制の主務者であった。

いずれも「戦犯資格者」とみなされるが、重光外相も東条、小磯両内閣の外相として「同類」であろう。

それなのに、一方で毅然たる態度を主張しながら、他方でひたすら総司令部の意向を優先してポツダム宣言の実行にいそしむのは、それこそ戦犯逃れの媚態ではないか。



・・・

重光外相は、反対した。

政府が存続するから外務省が存在するが、講和条約が結ばれて戦争状態が集結し、日本が国際社会に復帰するまでは、外交機能は認められない。

日本の対外折衝は総司令部とのものだけであり、そのために終戦連絡中央事務局が設けられたのであり、外相もここを通して唯一の外交である対総司令部外交に邁進する決意を固めていた。(p・12-13)

(2016年9月23日)

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