2015年9月16日水曜日

「テロ攻撃」が戦争の主形態である今日、安保法案は「抑止力とはなりえない」   

安倍政権は安保法案について、これは「戦争法案」ではなく、「戦争抑止法案」である、と主張する。
これは、この法案に賛成する人びとの主張の根拠にも、なっている。
だが、「テロ攻撃」が戦争の主形態である今日、安保法案は「抑止力とはなりえない」のではないか。   
そこで、本当に安保法案が「戦争抑止法案である」、という主張が正しいのかどうか。このことについて、改めて検討してみたい。



◆ 安保法案が持つ、「本質的な欠陥」とは

この法案に一番の問題点は、いち内閣の「恣意的」な解釈によって日本国憲法の精神に「反する閣議決定」がなされ、それが法案化され、「数に勝る」与党によって強引に採決、「可決成立」されようとしているところにある。

いわば、この法案は、もともと「憲法に違反する」性質を有したものである。しかも、それが、「違憲的存在である」とされる国会議員らによって、「法律」とされようとしている。

ここに、この法案の持つ「本質的な欠陥」が存在する。
このことは、非常に重要なことである。

だが、この憲法論を除外するとしても、はたして、安倍政権や、与党の幹部らが主張するように、この法案が「成立した」として、本当にそれで「戦争を抑止する」事が出来るのか、という事については大いに疑問がもたれる。

一般に、抑止力とは、「抑止力行為の達成が困難、または代償が高くつくことを予見させ、その行為を思いとどまらせる力」である、と定義されている。

そして、戦争においては、軍事力こそが「抑止力である」とされる。


◆ 冷戦後の戦争の諸形態は、「テロ戦争」が主体

論を先に進める前に、ここで立ち止まって、冷戦後の、戦争の諸形態について、考えてみたい。

『wikipedia』によると、冷戦後の戦争は、次のように整理されている。

≪冷戦後はイデオロギーの対立というよりも民族・宗教の対立による内戦が世界各地で勃発するようになり、形態はかつての伝統的な戦争よりも複雑多様化している(ボスニア紛争など)。特にイスラム原理主義や民族主義によるテロが先進国を悩ませ、それに対する報復戦争や内戦が起きる事態となっている(アメリカによるアフガン侵攻イラク戦争、チェチェン紛争など)。
 2つの世界大戦以後から冷戦期にかけて、領土の占有を最終目的とする形態の戦争は減少し、特に冷戦後は、政治体制や宗教体制を自陣の望むものとするための戦争や紛争が主体となっている。≫
つまり、冷戦後の「戦争」目的は、「領土の占有を最終目的」としたものではなくなってきている。このことは、『wikipedia』の指摘を待つまでもなく、我々にも、「膾炙(=広くいきわたっている)」されていることでもある。

たとえば、イラク戦争は、2003年3月20日に、米軍により起こされたが、3月中には、主な戦闘は、終了した。「フセイン大統領」は処刑され、これで戦争が終結した、と米国は宣言した。

だが、今もって、イラクは「戦争のさなか」にある。イラクの国民は、テロの恐怖のなかで日々の暮しを送っている。米軍は、戦争が「終わる」とイラクから引き揚げた。

かっての、「日本を占領した」ようなやり方を取ってはいない。イラクに「憲法を押し付ける」ようなこともしなかった。「在イラク米軍基地」を建設することもしていない。

それは、アフガン戦争でも、同様である。


◆ テロ戦争が主体の今日においては、安保法(案)は、「抑止力とはなりえない

ここからは、戦争においては、軍事力こそが「抑止力である」とされる、という事について考える。

現在の世界において、「最高の軍事力は核兵器である」という事には、異論がない、と思われる。

核抑止とは、「核兵器の保有が、対立する二国間関係において互いに核兵器の使用が躊躇される状況を作り出し、結果として重大な核戦争と核戦争につながる全面戦争が回避される、という考え方で、核戦略のひとつである」とされる。(「wikipedia」)

「核兵器の保有」が、戦争を抑止するための「最高の軍事力」である、ということであろう。だが、私は、そうは思わない。

何故か。

それは、現実的には、核兵器(原爆や水爆)を使うことが出来ない、と思うからである。核兵器(原爆や水爆)を使って、戦争を始めれば、その結果として、「勝者も敗者」も、すべてが破壊されてしまうからだ。

それでは、「戦争目的」を果たすことが出来ないことになる。一体、何のための「戦争なのか」という事になる。だから、核兵器は「武力=軍事力」になりえない。

もし、そうであるなら、それ以外の「軍事力」が戦争抑止力として、有効な「軍事力」となりうるとは、到底思えない。


また、9.11のテロ攻撃が「参考」になる、と思う。
世界で最高の軍事力を持つ米国でさえ、「9.11のテロ攻撃」を防ぐことできなかった。

このことは、今日の戦争の典型的な形態である、「テロ戦争」に対する抑止力は、「存在しない」という事の証明にもなっている。

いつ、なんどき、どこで、「戦争が起こるのか」を予測することは、不可能なのである。そうだとすると、到底、今の安保法案が、「戦争を抑止するもの」として有効に働くとは、思えないのである。

むしろ、「この法律があること」で、日常的に「戦争の恐怖」に晒されることになる。そう考えることの方が、「合理的である」と思うのだ。

「安保法(案)は、抑止力になりえるか」という問いに対しては、私は到底「抑止力」とはなりえない、と考える。


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(2015年9月16日)