2015年9月25日金曜日

「フツーの芸能人」 安倍首相を「批判」しては、いけないのか

今回の安保法案にたいしては、「芸能人」が、積極的に発言し、注目を浴びた。それは、安保法案の審議が終了した後も、衰えを見せていないようだ。
ところが、「フツーの芸能人」が、安倍首相を「批判」してはいけない、というような主張がある。
芸能人が、「何か政治的なこと」をしゃべると、いっせいに攻撃をされる。特に、「フツーの芸能人」が、安倍首相を批判すると、まるで「悪いこと」でもしたかのように、攻撃がなされる。「フツーの芸能人」が政治に「口出し」をすることは、悪いことなのか。

この事について考えてみたい。

現在の私は、ラジオも、テレビも、ほとんど見ることがない。今、クイズ番組にでることになって、「芸能ネタ」を問題に出されても、恐らくは一問も正解できないであろう。

だが、こういう記事を見ると、「ふたことも、みことも言いたくなる」


◆ ネットで「炎上騒ぎ」になることこそ、不思議


紹介された記事には、タレントの土田晃之氏が、9月20日放送のラジオ番組『土田晃之 日曜のへそ』(ニッポン放送)で、19日に安全保障関連法案が可決されたことについて、苦言を呈したこと。

参院本会議の様子についても、安倍首相について、安保法案に関する自身の考えについて、意見を述べたこと。このことに関し、ネットではすでに炎上騒ぎが起きている、という事が書かれている。

また、ほかの「芸能人」を例に取り上げ、
≪「他にも、女性ボーカルグループ『SPEED』の今井絵理子やアイドルグループ『KAT-TUN』の中丸雄一、音楽ユニット『My Little Lover』のAkko、モデルのマギーなどが安保法案に関して持論を展開していますが、いずれもネット上で話題、もしくは炎上。
ダウンタウンの松本人志やSMAPの中居正広などの意見が注目されるのは当然として、決して現在の“一流”とはいえない芸能人でも安保法案への発言では大衆の耳目を集められるため、こういった憶測が飛ぶんです。たしかに、最近名前を聞かなかった芸能人がいきなり政治発言をすることで『なんであなたが?』という違和感は大きいですからね」≫
と、いう「芸能記者」の話も紹介している。

そして、記事は、以下のように述べ締めくくる。
≪安保法案という大きな問題に直面した中で、多くの人々が政治に対し意見を持つことは重要なことだ。だが、普段は“タレント”や“芸人”としての姿しか見せない人物が突然政治に対しての持論を展開すると、多くの人は面食らってしまうのだろう。世間に面が割れている芸能人が発言するならば、ある程度“知的”なイメージを作り上げていることが重要なのではないか。≫

◆ 政治権力を持たない国民が、批判するのは自由

百田氏の場合もそうであるが、政治権力を持たない国民が、時の政権に対して、いかなる批判をしようと、それは自由である。「ある程度“知的”なイメージを作り上げて」いようがいまいが、そんなことは、いっさい、関係がない。そんなことは、「重要」でもなんでもない。

まず、このことを確認しておきたい。これは、いくら強調しても、し過ぎということはない、と思うからだ。このことにおいては、「芸能人」であろうと、何ら、変わりがない。

もとろん、顔が知られている「芸能人」が、公の場で政治について語ることは、「リスクを伴う」ことであろう。場合によっては、「マイナス」イメージをあたえることになり、「芸能活動に支障をきたす」ことになるかもしれない。

だが、それは、当人の問題である。当人が、そのことを了解した上でのことであれば、他人がどうこう言うべき事柄では、ない。百田氏の場合もネットでは、百田氏を「擁護」する発言が相当あった。

有名な「芸能人」(百田氏を芸能人と呼ぶことは、適当でないかも知れないが)なら良くて、「無名の芸能人」はダメとか。「“知的”なイメージの芸能人」なら良くて、「”馬鹿”に見える芸能人」は、ダメとか。このような「区別」は、する必要がない。

どのようにみえる「芸能人」であろうと、自由に発言し、自分の思いを、どう語ろうと、勝手である。もちろん、「語った」ことで、それ以後の「仕事」に、影響が出るかもしれない。だが、それは、自己責任である。

誰が、何をラジオやテレビで語ろうと、(基本的には)問題がない、と私は考える。


◆ 「匿名」で、コソコソと「しゃべる人間」より、ずっと立派

それよりも、問題は、「受け手の側にある」、と思う。一見、「”馬鹿”に見える芸能人」が、ラジオで「何をしゃべろう」と、それをどう解釈するかは、「受け手」しだいである。

「受け手」が、「いい加減な考え」しか持っていなければ、その発言に影響されるかもしれない。しかし、しっかりとした考えをもった人であれば、「そういう意見もあるのか」という、「受け取り方」をするだろう。

要は、「ラジオや、テレビの前に座っている我々」が、その問題について、どういう判断をするのか、ということにかかっている。そう思うのである。

だいたい、“知的”なイメージを作り上げている「芸能人」が、常に「正しい」ことを言うという保障は、何もない。言っていることが、必ず、「的を射ている」とも、限らない。

だいいち、「政治的なこと」において、「正解がある」と考える事自体に、問題がある。仮にあったとしても、それが「ひとつ」とは限らない。いろいろな「正解がある」と考える方が、「正解」であろう。

安保法案に反対する「デモ」においても、「芸能人」が参加している。国民は、彼らに対し、≪「“知的”なイメージの芸能人」だから≫というような「色眼鏡」をもって、「称賛の声」をあげているのではない、と思う。

ごく、素直な気持ちから、「称賛の声」をあげているのだと思う。そこには、「知的」だとか、「知的でない」とかの判断が入る余地はない。

純粋に、日本の将来、日本の子供らの将来を心配しての、言動に「感動」し、賛同しているのである、と思う。

土田氏に対し、「感情的な物言いや言葉遣いに対する批判」(ネットでの)があると記事は書いているが、この程度の「下品さ」は、ネットには、「あふれかえっている」。

ネットの中で批判をくりかえしている「彼ら」こそ、自分自身の「感情的な物言いや言葉遣い」を、反省すべきであろう。しかも、彼らは、「匿名」で記事を投稿している。「自分の顔を、世間に晒している訳ではない。

そのことを思えば、ネット上で批判をくりかえす「彼ら」より、土田氏のほうがずっと、ずっと、「立派」である。

(2015年9月25日)