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安倍政権をささえる与党の自民党、公明党は、今や、「全体主義政党」といってもよい状況にあります。
また、日本の政党は、「大政翼賛会」化しつつある、という気がします。
◆ 共産党の「お株」を奪った自民党、
「全体主義政党」というのは、以前であれば、日本共産党への「批判」として聞かれた言葉であった。それが、今や、自民党に当てはまる言葉になった。
今の自民党は、共産党の「お株」を奪い、「準共産党」といってもよい政党になってきている。今の自民党は、どこを切っても同じ顔が出てくる「金太郎あめ」政党になった。
また、政党内部での「異論」を表明することを許さず、国会議員でさえ、個人の意見や見解を表明することに、制限を加えるようになっている。安保法制案についての「議論」においては、特にそうである。
自民党は、大西議員の「マスコミを懲らしめる」という発言で、マスコミや国民が一斉に自民党に反発する事態を受けて、党の国会議員―特に、若い国会議員ら―にテレビに出て、発言をすることを禁じた。
その理由は、若い国会議員が、これまでの経過(国会での議論)について、よく知らないという現状がある。それなのに、テレビに出て発言して、かえって「やぶの中にいるヘビ」を追い出す結果になることを恐れた。恐らくは、それが「真相」であろう。
また、谷垣幹事長が、「街頭演説」において、「帰れ、帰れ」と罵声を浴びたことをきっかけに、それ以後の「街頭演説」を行うことも、自粛した。
自粛は、これは「禁じた」と表現しても、間違いではない。それまでは、家の近くでも、市会議員らが盛んに、平日、休日を問わず「街頭演説」をおこなっていた。うるさくて、眠れないほどの「大音量」で、安保法案の必要性を訴えていた。
それが、「ぴたり」と止んだ。ちょうど夏の終わりに「蝉の声」が、一斉に止むのと、似ていた。相当に厳しい「通達」が出ていたのであろう。
◆ 自民党に反旗を翻したのは、村上氏と野田氏
このような状況の中で、自民党内からは、一切安保法案への異論が聞かれなくなった。村上誠一郎氏の声を除いては。
村上議員は、「政治家の良心、信念として、たとえ総理であろうと幹事長であろうと、間違ってると思ったら"それはおかしい"と言うことが本当は党のためになるし、内閣のためになると思うからです。自分自身の選挙やポストが欲しいという前に、やっぱり自分を信じてくれた有権者や国民に対して政治家として責任を取ることが重要だと考えています。」と述べ、ただ一人、自民党内にあって、異論をとなえた。
また、「学者が揃って違憲といっているのに、それを無視するのは傲慢だ」と自自民党執行部を、公然と批判した。
ところが、この村上誠一郎氏に続く国会議員は、ついに、自民党内から現れることがなかった。村上氏は、孤軍奮闘することになった。このことは、最早、自民党が「自分の意見を持たない」国会議員の集まりになった、という事を示している。
「いや、意見は持っている」という反論も、あろう。だが、その反論は「説得力」をもたない。「意見」は、口に出してこそ、国民に伝わる。「口に出さない」意見など、まったく、意味がない。
それは、総裁選においても、表面化した。候補者になるであろうとされた議員は、はやばやと、「白旗を上げ」、「恭順」の意向を表明した。その中にあって、ただひとり、野田聖子議員が、「立候補」の表明をした。
だが、自民党は、全力をあげて、野田議員をつぶしにかかった。ついに、20人の推薦人を集めることが出来ず、野田氏は総裁選から降りた。この間の経過については、マスコミは、ほとんど詳しい報道をしなかった。
ただ、ただ、野田聖子議員の推薦人の人数ついて報道するだけで、自民党が野田氏の加えた「圧力」については、報じなかった。恐らくは、これも、自民党や安倍首相の意向を考慮した上のことであろう。
結果、安倍首相は、無投票で、自民党の総裁に再選された。
この間、自民党に反旗を翻したのは、村上氏と野田氏の二人、という「惨憺たる」結果となった。
◆ 公明党もまた、「準共産党」に変身した
与党のもう一つの勢力である公明党も、自民党と変わらなかった。北川副代表が、自民党の高村副総裁と二人でコンビを組んで、集団的自衛権の「新三要件」を、「デッチあげる」と、いっせいに、賛成にまわった。
初めは、慎重であった―というより、反対していた―山口代表も、ついには、「白旗をあげ」、賛成に回った。自民党との「連立」を維持することを最優先した結果のことである。
「はじめに、連立ありき」の原則を選択した結果のことである。これは、恐らくは、公明党の執行部の独断で決定されたことであると思われるが、このことについての「異論」はついには、党内から出されなかった。
党内においては、「多少の異論が出された」ことであろうが、自民党の村上氏のように、公然と反旗を翻す国会議員は、あらわれなかった。このことは、公明党が、自民党と同じように、「金太郎あめ政党」になったことを、示すものである。
もともと、公明党は、創価学会をバックに持っており、今までも、「金太郎あめ」的な政党であった。だが、今回は、国会での審議が「進む」中において、支持者から反対の意思表示が、出てくるようになってきた。
その声は、安保法案反対の「デモ」に参加するという支持者が、現れるまでになっていった。そして、ついには、「安保法制の白紙撤回」を、山口那津男代表に請願する署名9177筆を届けるという事態にまで、発展した。
だが、公明党の党本部は、署名を届けるために、わざわざ出向いた支持者を、「門前払い」するという、「前代未聞」の対応にでた。最終的には、「受け取ることにした」党本部は、―驚くべきことに―受け取るにあって、「三条件」を提示した。
それは、「まるで、三文芝居を見せられている」ようであった。
約1万筆にものぼる請願の署名をさえ、このような形で受け取るという「前代未聞」の対応は、公明党もまた、「準共産党」になった、というの証明である。
◆ 日本の政党は、「大政翼賛会」的な状況にある
今や、日本の政党は、与党、野党を問わず、「全体主義政党」になった、という事が出来ると思う。もちろん、一部の少数野党の中には、そうではない政党もあるのは、事実であろう。
だが、数においては、ごく少数である。また、それらの政党も、つねに「政権党にスリよりたい」という願望を持っており、「いつでも」与党と連立を組む、という可能性を排除することが出来ない。
したがって、今や、日本の社会は、「大政翼賛会」的な状況にある、といっても、「当たらずといえども、遠からず」であろう。
「自由にモノが言えない」のは、自民党に限らない。公明党も、多分、民主党も、それは同じなのではないか。
このことは、”「日本」いまだ「民主主義国家」に非ず”、ということを象徴するものとなっている。
「有権者や国民に対して政治家として責任を取ること」という事を忘れた政治家は、政治家とは言えない。自分の意見さえ、堂々という事を―自己の保身のためにーためらうような政治家を、主権者である国民は、必要としていない。
このことを、今こそ政治家は、「肝に銘じる」べき秋(とき)であると思う。
(2015年9月22日)