まったく「聞く耳」を持たないとは。
この党の議員は、「政治家としての資質に欠ける。
今度は、自民党の鴻池祥肇委員長自身が、「強行採決」を行った。安保法案の審議における、中央公聴会の日程について、のことである。
◆ 鴻池氏自身の国会議員としての「矜恃」は、どこに行ったのか
安全保障関連法案の、参議院の採決の前提となる中央公聴会が、15日に開かれることが、与党などの賛成で議決された。法案は、翌日16日に委員会で採決される見通しである、と報道されている。(「FNN」)
鴻池委員長は、礒崎補佐官が7月26日の講演で、安保法案の審議を「9月中旬までに何とか終わらせたい」と発言したことに関して、自身が、委員会席から「質問」を行うほどの、「憤り」を見せた。
◆ 「強行採決」は、鴻池氏が「自殺」するにも等しい行為である
その鴻池氏が、委員会の理事会での協議の結果を無視して、いきなり、中央公聴会の開催の議決について、委員会審議で「強行採決」をおこなった。
これは、鴻池氏のこれまでの「発言」を、自身で「否定」するものであり、自身への「裏切り」行為に、ほかならない。
鴻池委員長が、安保法案の参議院での審議において、衆議院の場合とことなり、議事運営に「最大の努力」をして来られたことは、認める。
安倍首相や、政府、自民党内からの「圧力」も、相当あるであろうことは、想像に難くない。それは、よく解る。
だが、それとこれは別である。
鴻池氏のこれまでの「発言」、特に、委員会の席上からの、磯崎補佐官への「質問」などは、「もちろん」のこと。
それよりも何よりも、一国会議員として、日本の国民への「責任」という事を考慮すれば、鴻池氏が昨日おこなった「暴挙」は、とうてい、「許されない」し、国民の理解を得ることは出来ない、ものだ。
それとともに、私は、この「強行採決」は、鴻池氏が「自殺」するにも等しい行為をおこなった、と思う。その意味において、今後の「政治生命」は、「ここに尽きた」というべきである。
鴻池氏が、今後、何を発言し、何をおこなうと、国民は、けっして、氏の「言動」を信用しないであろう。
安倍首相の強引なやり方が、また、ひとりの「有能」な国会議員を、「抹殺」してしまった。
その意味で、首相の責任は、計り知れないほど、大きいものがある。
(2015年9月9日)
この党の議員は、「政治家としての資質に欠ける。
今度は、自民党の鴻池祥肇委員長自身が、「強行採決」を行った。安保法案の審議における、中央公聴会の日程について、のことである。
◆ 鴻池氏自身の国会議員としての「矜恃」は、どこに行ったのか
安全保障関連法案の、参議院の採決の前提となる中央公聴会が、15日に開かれることが、与党などの賛成で議決された。法案は、翌日16日に委員会で採決される見通しである、と報道されている。(「FNN」)
「安全保障関連法案をめぐっては、与党側は、16日の法案の採決に向けて、その前提となる中央公聴会を15日に開くことを提案、民主や共産など野党側は「審議が不十分だ」として、反対していた。高村氏の(安保法案の採決を)「国民の理解がなくても、やる」という発言に続き、とうとう、鴻池委員長までもが「自身の矜恃(プライド)」を捨て、「強行採決」に踏み切った。
8日の特別委員会で、鴻池委員長は、職権で採決を認め、自民、公明のほか、日本を元気にする会などの賛成多数で、15日の開催が議決された。」
鴻池委員長は、礒崎補佐官が7月26日の講演で、安保法案の審議を「9月中旬までに何とか終わらせたい」と発言したことに関して、自身が、委員会席から「質問」を行うほどの、「憤り」を見せた。
「同じ参議院議員としてうかがいたいのだが、参議院の存在というのは、先人が苦労して二院制に持ってきて、先の大戦から、貴族院が止められなかった、あの軍部の戦争に至った道というのを十分反省をしながら、参議院の存在を一生懸命作り上げた」
(表現が少しきつくなるかもしれませんが)「衆議院の拙速を戒めるのが参議院である。衆議院の足らずを補完していく、補っていくのが参議院である。できるだけ合意形成に近づけていくのが、参議院の役割の一つだと思うんです。多くの方々もそう思っていると思います」
「参議院の審議をしているさなかに、『9月中旬に法律案を上げたい』という発言については、いかがかと思うんです。我々参議院は、衆議院の下部組織ではない。官邸の下請けやっているのではない」鴻池委員長は、これまでにも、「世論を二分し、日本の将来にかかわる大問題については『再考の府』としての参院の存在は重要」という認識を示していた。
◆ 「強行採決」は、鴻池氏が「自殺」するにも等しい行為である
その鴻池氏が、委員会の理事会での協議の結果を無視して、いきなり、中央公聴会の開催の議決について、委員会審議で「強行採決」をおこなった。
これは、鴻池氏のこれまでの「発言」を、自身で「否定」するものであり、自身への「裏切り」行為に、ほかならない。
鴻池委員長が、安保法案の参議院での審議において、衆議院の場合とことなり、議事運営に「最大の努力」をして来られたことは、認める。
安倍首相や、政府、自民党内からの「圧力」も、相当あるであろうことは、想像に難くない。それは、よく解る。
だが、それとこれは別である。
鴻池氏のこれまでの「発言」、特に、委員会の席上からの、磯崎補佐官への「質問」などは、「もちろん」のこと。
それよりも何よりも、一国会議員として、日本の国民への「責任」という事を考慮すれば、鴻池氏が昨日おこなった「暴挙」は、とうてい、「許されない」し、国民の理解を得ることは出来ない、ものだ。
それとともに、私は、この「強行採決」は、鴻池氏が「自殺」するにも等しい行為をおこなった、と思う。その意味において、今後の「政治生命」は、「ここに尽きた」というべきである。
鴻池氏が、今後、何を発言し、何をおこなうと、国民は、けっして、氏の「言動」を信用しないであろう。
安倍首相の強引なやり方が、また、ひとりの「有能」な国会議員を、「抹殺」してしまった。
その意味で、首相の責任は、計り知れないほど、大きいものがある。
(2015年9月9日)