自民党の総裁選が終わった。
安倍晋三氏が、「無投票」で再選された。
この結果、安倍首相を総裁にしたことで、自民党は、今や、「合法政党」ではない、という事が、明らかになった。
国民は、この事実をよく胸に刻み、今後の行動を行うことが必要である、と思う。
大方の予想に反し、「無風」選挙という訳には、行かなかったようである。
だが、結局のところ、立候補に意欲を燃やしていた野田氏は、必要な推薦人(20人)を集めることが出来ずに、断念した。
このことの経過については、―「マスコミなど」によると―安倍陣営からの相当な「締め付け」があったようだ。いろいろな「妨害工作」も、おこなわれたようだ。
どちらにしても、結果は出た。
そして、この結果こそが、これからの自民党の「足かせ」となることであろう。
◆ 今の自民党には、「自由」や、「民主」の言葉は、「不釣り合い」だ
この総裁選を通じ、日本の国民の多くが、改めて、今の自民党の「体質」について、再認識をしたことであろう。
もはや、今の自民党には、「自由」や、「民主主義」が機能しなくなっている。もはや、政党の名に値しない「団体」に成り下がった、ということが、誰の目にも明らかになった。
今の自民党には、「自由」や、「民主」の言葉は、「ふさわしく」ない。
今の自民党が目指しているのは、何でも自分たちがしたいようにするという、勝手気ままな「自由」である。それは、単なる「わがまま」にすぎない。
また、主権者である国民の意思を尊重する姿勢が、全然ないことからして、「民主」とは程遠い存在になった。今の自民党は、人間ではなく「神」に「仕える」存在になった。(しかも、その神は、「悪魔」に魂を売った神だ。)
およそ、民主主義とは、無縁の存在に成り下がった。
◆ 「ナチス」も「顔負け」の、天をも恐れぬ所業である。
「自由」や「民主」とは、政党の名前としては、「ふさわしくない」ものだ。もともと、「自由」や「民主」は、政治権力と関係する概念であるからだ。
それは、国民にとってこそ、「ふさわしい」言葉なのである。本来は、政党が掲げる「党名」に、冠する言葉としては、不適切なのである。
自由は、政治権力から、国民を守ること。民主主義とは、政治権力に参加すること。これらは、国民の権利の擁護という事を、主眼において、長年の努力の結果、獲得されたものだ。
それを安倍首相は、踏みにじった。
本来なら、憲法の改正を行った後にすべき、「集団的自衛権の行使容認」を、閣議決定という内閣の「独断」で行い、憲法を「死文化しよう」としている。
憲法をまもるべき「義務」を放棄して、違憲的な「法案」を「ごり押し」して、成立させようとしている。安倍首相には、まったく、「順法精神」の「かけら」もない。
まさに、「ナチス」も「顔負け」の、天をも恐れぬ所業である。
そのような安倍首相を、自民党の国会議員が、こぞって、支持した。
誰一人として、安倍首相に「異を唱える」ことを、しなかった。(野田氏でさえ、安保法案に反対とは、述べていない)
このことは、今や、自民党が、「法治国家」にふさわしい政党ではなくなった、という事を証明するものである。自民党は、「合法政党」ではなくなった、ということだ。
今回の総裁選は、そのことを見事に、国民の前に示してくれた。
小泉元首相は、「自民党をぶっ壊す」と言ったが、ー安保法案のために―本当に自民党は、壊れてしまったようだ。
(関連記事案内)
・安倍総裁再選 異論許さぬ政治の表れ=北海道新聞
・安倍総裁が無投票再選、安保法案採決に向け課題は=JNN
・安倍氏、念願の無投票再選 党内“不満”どうさばく=ANN
・ポスト安倍見据え…「石破派」立ち上げへ=NNN
・「私こそザ・自民党」 総裁選断念の野田聖子氏胸中語る=朝日 (9/11加筆)
(2015年9月10日)
安倍晋三氏が、「無投票」で再選された。
この結果、安倍首相を総裁にしたことで、自民党は、今や、「合法政党」ではない、という事が、明らかになった。
国民は、この事実をよく胸に刻み、今後の行動を行うことが必要である、と思う。
大方の予想に反し、「無風」選挙という訳には、行かなかったようである。
だが、結局のところ、立候補に意欲を燃やしていた野田氏は、必要な推薦人(20人)を集めることが出来ずに、断念した。
このことの経過については、―「マスコミなど」によると―安倍陣営からの相当な「締め付け」があったようだ。いろいろな「妨害工作」も、おこなわれたようだ。
どちらにしても、結果は出た。
そして、この結果こそが、これからの自民党の「足かせ」となることであろう。
◆ 今の自民党には、「自由」や、「民主」の言葉は、「不釣り合い」だ
この総裁選を通じ、日本の国民の多くが、改めて、今の自民党の「体質」について、再認識をしたことであろう。
もはや、今の自民党には、「自由」や、「民主主義」が機能しなくなっている。もはや、政党の名に値しない「団体」に成り下がった、ということが、誰の目にも明らかになった。
今の自民党には、「自由」や、「民主」の言葉は、「ふさわしく」ない。
今の自民党が目指しているのは、何でも自分たちがしたいようにするという、勝手気ままな「自由」である。それは、単なる「わがまま」にすぎない。
また、主権者である国民の意思を尊重する姿勢が、全然ないことからして、「民主」とは程遠い存在になった。今の自民党は、人間ではなく「神」に「仕える」存在になった。(しかも、その神は、「悪魔」に魂を売った神だ。)
およそ、民主主義とは、無縁の存在に成り下がった。
◆ 「ナチス」も「顔負け」の、天をも恐れぬ所業である。
「自由」や「民主」とは、政党の名前としては、「ふさわしくない」ものだ。もともと、「自由」や「民主」は、政治権力と関係する概念であるからだ。
それは、国民にとってこそ、「ふさわしい」言葉なのである。本来は、政党が掲げる「党名」に、冠する言葉としては、不適切なのである。
自由は、政治権力から、国民を守ること。民主主義とは、政治権力に参加すること。これらは、国民の権利の擁護という事を、主眼において、長年の努力の結果、獲得されたものだ。
それを安倍首相は、踏みにじった。
本来なら、憲法の改正を行った後にすべき、「集団的自衛権の行使容認」を、閣議決定という内閣の「独断」で行い、憲法を「死文化しよう」としている。
憲法をまもるべき「義務」を放棄して、違憲的な「法案」を「ごり押し」して、成立させようとしている。安倍首相には、まったく、「順法精神」の「かけら」もない。
まさに、「ナチス」も「顔負け」の、天をも恐れぬ所業である。
そのような安倍首相を、自民党の国会議員が、こぞって、支持した。
誰一人として、安倍首相に「異を唱える」ことを、しなかった。(野田氏でさえ、安保法案に反対とは、述べていない)
このことは、今や、自民党が、「法治国家」にふさわしい政党ではなくなった、という事を証明するものである。自民党は、「合法政党」ではなくなった、ということだ。
今回の総裁選は、そのことを見事に、国民の前に示してくれた。
小泉元首相は、「自民党をぶっ壊す」と言ったが、ー安保法案のために―本当に自民党は、壊れてしまったようだ。
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・安倍総裁再選 異論許さぬ政治の表れ=北海道新聞
・安倍総裁が無投票再選、安保法案採決に向け課題は=JNN
・安倍氏、念願の無投票再選 党内“不満”どうさばく=ANN
・ポスト安倍見据え…「石破派」立ち上げへ=NNN
・「私こそザ・自民党」 総裁選断念の野田聖子氏胸中語る=朝日 (9/11加筆)
(2015年9月10日)