2015年9月18日金曜日

ガルトゥング博士=日本は「米国の従属国でない」

この記事(引用した)は、必読。
安保法案が可決成立した後に待っている「日本の姿」を、象徴する内容の記事になっている。
日本が米国に「追従する」ことなく、国際社会において、「名誉ある地位」を占めるためには、何をすることが必要であるのかが、示されている。


これは、「平和学の父」とよばれる、ヨハン・ガルトゥング博士のインタビュー記事。博士は、「積極的平和」の概念を作った人として、知られている。(「週刊スパ=ヤフー」)

重要な個所を引用します。

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 日本の敵対国を増やすことになる(小見出しは、投稿者)

・安倍首相の「積極的平和」と、私が’58年に提唱した「積極的平和」は、意味がまったく違います。安保法制は、日本に平和をもたらすどころか、日本の敵対国を増やすことになるでしょう。多くの日本国民が願った方向とは逆に行ってしまっている。

 米国は建国してからこれまで、248回も他国に軍事介入を行ってきました。特に朝鮮戦争以降はずっと負け続けています。ベトナム戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争……。そしてそのたびに国際的地位が低下しています。このような国とともに軍事行動することが、どうして日本の安全につながるのでしょうか?

米国は、欧州がかつて冷戦時代のようには戦争に協力してくれないことで、不満を抱えています。それで、日本にその代役を務めさせようと考えているのです。日本が米国とともに“対テロ戦争”に参加したら、日本は必ずテロのターゲットになります。1人のテロリストを殺せば10人のテロリストが生まれる。それが対テロ戦争の実態なのです。

 日本では、安保法制で日本人が戦場に送られると言って議論になっていますが、それだけではありません。日本がテロの標的となる危険性があるのです。


◆ (米国などの)爆撃機から空爆こそ、残酷(小見出しは、投稿者)

沖縄は歴史・文化的にも地理的にも、アジアの中心となりうると思います。もし東アジア共同体をつくるなら、その本拠地は沖縄に置くべき。そうすれば、米軍基地も必要なくなり、基地問題も解決するでしょう。

 どんな相手でも対話して、何が紛争の原因なのかを見つけること紛争の原因となる問題に、いかに対応していくかが大事です。

 例えば「イスラム国」(IS)がいかに残虐か、ということが報道されています。確かに、人の首をナイフで斬り落とすという行為は残酷ですが、では(米国などがやっているように)爆撃機から空爆し、数百、数千の人々を殺すことは残酷ではないのでしょうか?

 私はISとも対話しています。彼らが問題視しているのは、サイクス・ピコ協定、つまりイギリスやフランス、ロシアが第一次世界大戦中に現地の人々の声を聞くことなく、勝手に決めた中東での国境線のことでした。この問題を考える上で、避けて通れないのは、イスラエルをどうするかという問題です。

イスラエルの生存権を確保するということは、同国を守ろうとする米国がイラク戦争を開始した原因ともなりました。イスラエルの人々の生存権は守られなくてはいけませんが、イスラエルがどんどん入植地をつくり占領地域を拡大している状況では、中東の人々は納得しません。イスラエル側も自制すべきでしょう。

 日本は、憲法9条を持っているという他国にはない“信用”を強みに外交交渉をするべきです。日本は米国の従属国でない。平和貢献の分野において世界のリーダーとなることができるのです。(引用、ここまで)

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  日本が、「米国の従属国」であることを拒否をする道

マスコミは,ISの「テロ」は報じるが、米国が行っている空爆で、どれほどの人びと(その多くは民間人)が、殺傷され続けているのかを、けっして報道することがない。

我々は、「鈍感」になっている。米国などがやっている、「爆撃機から空爆し、数百、数千の人々を殺すこと」については、「残酷である」とは言わない。ISが、「テロ」で人の首を切ったのだから、「空爆されて当然である」。

こう考えている「節」がある、と思うのである。だが、果たして、この論理が、ISの人々に「通じる」であろろうか。ことは、そう単純ではないのである。

宗教を「所施術」としか、考えない日本人には、イスラムやキリスト教との「確執」を理解するのは至難の業、である。日本は、このような「こと」に首を突っ込むべきではない、と思う。


安保法案が成立すれば、それも「出来なくなる」可能性がある。

「日本は、憲法9条を持っているという他国にはない“信用”を強みに外交交渉をするべきです。日本は米国の従属国でない。平和貢献の分野において世界のリーダーとなることができるのです」という、博士の言葉に耳を傾けるべき時である。

※ 国会での審議を聴きながら、記す。

(2015年9月18日)