2015年9月21日月曜日

安倍政権によるマスコミへの「圧力」と、自己規制 「日本」いまだ「民主主義国家」に非ず【Ⅲ】


≪「日本」いまだ「民主主義国家」に非ず【Ⅲ】 安倍政権によるマスコミへの「圧力」と、自己規制≫を、掲載します。

今回の安保法案を可決成立させるにあたって、安倍首相や政権、与党の国会議員らがおこなった、マスコミへの不当な干渉や圧力は、目に余るものがあった。

◆ マスコミ「懲らしめ」発言と、安倍政権

その典型例は、自民党の若手議員による「文化芸術懇話会」での、「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい」、「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい」という発言に見られる。

この「文化芸術懇話会」の目的は、有名人に”首相のやっていることは正しい”と発信してもら」い、「憲法改正の国民投票まで見据え”自民党政権応援団”を増やす」ことである、と報じられている。(「朝日新聞」)

また、関係者は「首相が仕事をしやすいように、邪魔者が出てきたら排除するのが役割だ」と強調した。(「産経新聞」)

この懇話会は、「私的な勉強会」であるとされ、大西英男議員、井上貴博議員、長尾敬議員らの発言は、安保法制の審議では問題視されたが、自民党は「軽い処分」で済ませた。

安倍首相も、「政府とは関係のないことである」として、曖昧な対応に始終した。
しかし、彼らは国会議員という要職にある。いくら政党の「勉強会」であるとはいえ、その発言は公的な性質をもつ。

「密室」で行われた発言であるからといって、「許される」ものではない。しかも、この「密室」は、居酒屋であるとか、誰かの私邸であったわけではない。この会合は、自民党の党本部の建物内において、行われたのであった。

しかも、会議にはマスコミ関係者が呼ばれており、廊下には記者が「たむろ」していた。当然、会議での発言が壁を通して聞こえていた、と思われる。むしろ、「この発言」を聴かせるために、「記者を呼んだ」のではないか、と思えるほどだ。

彼らの発言は、安保法案に審議においては取り上げられたが、国会は彼らを「喚問」することもなかったし、議員辞職を勧告することもしなかった。

あらためて言うまでなく、日本国憲法は、その第21条で「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と、規定している。

彼らの発言が、この規定に抵触することは、疑うことに出来ない「事実」である。であるのに、安倍首相や政府、与党は、そのことを「見逃し」、彼らを「無罪放免」にした。

あろうことか、大西議員は、そのあとにおいてさえ「懲らしめようとする気持ちはあるんです」と、公の場において発言をした。この発言でさえ「問題視」されることがなく、大西議員は今もって「大手を振って」、国会内を「闊歩」している。

これらの一連の動きは、安倍首相や政府が、自民党や公明党が、これらの発言を「憲法に違反するものである」という認識を持っていないことを、物語るものである。

もし、「それは違う」というのであれば、彼らに対し「厳重」な≪査問≫をおこない、「責任」を取らせるべきであった。それをしなかったという事は、これらの「発言を認めた」ということであり、彼らと「同じような考えを持っている」と、受け取られても反論はできまい。

民主主義が機能するためには、「政府を批判する自由」、「言論の自由」が十分に保障されなければならない。それを担うのが、マスコミの役目である。その役目を持つ、マスコミを「権力を使って”懲らしめる”」などという事は、とうてい許されることではない。


◆ 安倍政権の、マスコミへの「圧力」、と「自己規制」

大西議員らの発言は、安倍首相のも、「責任」がある。首相は、これまで「マスコミへの圧力」と取られるような言動を、繰り返してきた。それらを列挙していると、それだけで、ここには書ききれないほどになる。

「(局が声を)選んでいる」という、『NEW23』(TBSテレビ)での発言。その二日あとには、「選挙時期における報道の公平中立並びに公正の確保についてのお願い」という文書を、テレビ局にあてて送付した。それには、次のように書かれていた。

≪さて、ご承知の通り、衆議院は明21日に解散され、総選挙が12月2日、14日投開票の予定で挙行される見通しとなっています。
 つきましては公平中立、公正を旨とする報道各社の皆様にこちらからあらためて申し上げるのも不遜とは存じますが、これからの期間におきましては、さらに一層の公平中立、公正な報道にご留意いただきたくお願い申し上げます。≫
(注①)

「お願い申し上げます」となってはいるが、これは「命令」に等しい。テレビは、「免許制」になっており、総務相が監督している。政権に「適切ではない(睨まれれば)」と思われれば、「免許が取り消される」という事もあり得る。

また、『報道ステーション』に対し、アベノミクスに関する放送についての「注意文書」である「公平中立な番組作成」を要求する文書を、送り届けた。同じく、『報道ステーション』の解説者の古賀茂明氏に対しても、「I am not ABE」発言に対し、「圧力」を加えた。

「NHK、テレビ朝日の経営幹部」の「呼びつけ」も、あった。古賀茂明氏が、「菅(義偉)官房長官をはじめ、官邸のみなさんにはものすごいバッシングを受けてきた」などと発言した問題について、聴取するためだ。

これは、「報道番組の内容」について、政権が介入することであり、「放送法」にも、憲法にも違反する。「言論弾圧である」と、取られても言い訳は出来ない。

さらに、安倍首相は、連日のようにマスコミ関係者ー特に、経営者ーと会食を共にしている、こともわかっている。「ノコノコ」とついていく方にも問題があるが、このような「誤解を生みかねない」会食を続ける安倍首相こそ、問題だ。

これらの「集大成」として、「文化芸術懇話会」が結成され、大西議員らの「懲らしめ」発言が出た、と私は考える。

これらの結果、マスコミは、このような「圧力」や「弾圧」に抵抗するどころか、「屈服」をしてしまった。その結果、政権に「都合の悪い」情報は、制限され、ほとんど出てこなくなってしまった。

もちろん、このことは「特定秘密保護法」が関係していることは、「疑いのない」ことであると思う。だが、それ以上に、今、安倍首相や政権に逆らうと、「何をされるかわからない」という「恐怖」が、マスコミ全体を支配しているように感じる。

まさに、「世の中、真っ暗闇じゃございませんか」という歌が、思い出されるような状況になってきている。日本の社会全体が、おおきな「黒い雲」に追われた感がある。

安倍首相や政権、自民党によるマスコミへの「圧力」や「弾圧」は、マスコミへの自己規制を産んだ。このことで、今や、「権力の監視機関」としての役目を、マスコミは放棄した。

このことは、「日本」が、いまだ「民主主義国家」に非ず、という事を序実に示すものとなっている。

言うまでもなく、今日の社会が情報社会であることは紛れもない事実である。
情報の持つ価値の重要さは、いくら強調しても、「強調しすぎ」という事はない。

それだけに、この「情報」がどれほど、国民に平等に行きわたっているのかという事が、その国の「民主主義」度を測る物差しになる。「まして、「政権の都合の悪いことは、「一切報道させない」などいうことが、あってはならない。

安保法案が「成立」したからといって、今すぐに、日本のマスコミが、戦前のような「報道機関」に変わってしまうことはないと思う。

が、ネット時代とはいえ、個人が収集できる情報は限られる。その情報を「かき集めた」としても、マスコミの「力」を凌駕するものになるとは、思えない。

そうだとすると、依然として、我々が「頼りにすることが出来る」のは、マスコミの強力な情報発信力である。彼らを「敵とするのではなく、味方に引き入れる」ことが、必要だ。


(注①) 
文書において、列記された具体例を以下に示す。

このように「驚くべき」内容になっている。完全な番組内容への「政治の介入」である。まして、政権が送付した「文書」であれば、安倍政権に「都合の悪い内容の放送はするな」と命令しているのと、同じことである。

まして、この文書は、総選挙を控えている時期において、送付されたものである。このことは、重要であり、「看過」出来ないことである。

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出演者の発言回数及び時間等については公平を期していただきたいこと。
ゲスト出演者の選定についても公平中立、公正を期していただきたいこと。
テーマについて特定の立場から特定政党出演者への意見の集中がないよう、公平中立、公正を期していただきたいこと。
街角インタビュー資料映像等で一方的な意見に偏る、あるいは特定の政治的立場が強調されることのないよう、公平中立、公正を期していただきたいこと。

※ 写真を差しかえました。 9/23

(2015年9月21日)