「砂川判決」と、元駐日大使の「マッカーサー2世」の、かかわりについて、述べる。
そして、「砂川判決」のもつ、 「反日的」性格の解明を試みた。
今、渦中にある「砂川判決」=「最高裁判決」=「田中判決」の、「出生の秘密」を、紹介する。
その「製造元」は、米国にあった。
「砂川判決」の反日性の解明は、それを正当性の根拠にする安保法制案を、読み解くことにもなる。
それは、法案のもつ「反日的」性格について、解明することにも、通ずることである。さらには、安倍政権の反日性をも、証明することになる。
Ⅰ) 「敗戦」後の、世の中の動きを確認する
参考のために、先に、「敗戦」後の、世の中の動きを確認しておきたい。
<歴史の動き>
・1945年8月15日 「玉音放送」 日本の降伏
・1945年9月2日 「降伏文書」調印 敗戦日
・1951年9月8日 「サンフランシスコ条約」 「占領」が、終了。
・同日 日米安全保障条約 (旧安保)
・1957年7月8日 「砂川事件」
・1958年 このころから、「安保闘争」が、激化しだす
・1959年3月30日 伊達判決=全員無罪
・1959年12月16日 最高判決「田中判決」=「一審破棄、差し戻し」
・1960年6月19日 日米安全保障条約 (新安保)が、「自然成立」
参議院は、議決せず
・1961年3月27日 最終判決=有罪”罰金刑”
★「米に公判日程漏らす 最高裁長官が、上告審前」=毎日新聞 2013/4/8
東京都立川市にあった米軍立川基地を巡り、米軍駐留を違憲とした59年の「伊達判決」直後に、当時の駐日米大使が日本側の外相や最高裁長官に面会していた問題で、外務省が「関連文書不存在」としていた従来の姿勢を翻し、文書の存在を認めたことが分かった。政権交代を受けて、文書を開示するよう再請求していた元被告側に2日夕開示した。一連の「密約問題」同様に、情報公開の趣旨を逸脱するこれまでの外務省の姿勢が明らかになった。【野口由紀】
開示を求めていたのは、同基地への立ち入りを問われた「砂川事件」の元被告、坂田茂さん(80)=川崎市中原区=と支援者ら計40人。
同事件の1審「伊達判決」を巡り、当時のマッカーサー駐日米大使が藤山愛一郎外相と会い、控訴を経ずに上告する「跳躍上告」を勧めていたことや、大使と田中耕太郎最高裁長官が上告審の時期の見通しについて密談していたことが08年4月、米側公文書で判明。元被告らが、09年3月に情報公開請求したが、法務省、外務省、内閣府、最高裁の4機関は同年5月までに、大使との会議記録などに関し「不存在」と通知していた。
今回、一転して外務省が公開したのは、伊達判決2日後の59年4月の「藤山大臣在京米大使会談録」。「極秘」との印が押された手書き文書で計34ページある。今後、支援組織の弁護士らが読解を進める。
公開の再請求は、昨年9月の政権交代で、岡田克也外相が一連の日米密約の調査を指示したことを受け、10月に行った。外務省以外の3機関は11月、以前と同じ理由で不開示としたが、外務省は12月25日、「現時点までに、該当文書を特定することができなかった」として、不開示を通知したものの、「最終決定ではなく、引き続き調査を行う」としていた。
坂田さんは「内容をよく見ないと分からないが、一歩前進だ」と喜び、同じく元被告の静岡市葵区、土屋源太郎さん(75)は「密約問題への世論が高まり、外務省としても真剣に考えざるを得なかったのだと思う」と話している。
(ブログ『日々坦々』さんの記事を使わせて頂いた。)
(関連サイト案内)
⇒「米軍違憲」破棄へ圧力 砂川事件、公文書で判明=47ニュース
2008/4/29
⇒最高裁長官「一審は誤り」 砂川事件、米大使に破棄を示唆=47ニュース 2013/1/17
⇒砂川事件最高裁判決の「超高度の政治性」――どこが「主権回復」なのか =水島朝穂
⇒集団的自衛権行使:砂川判決、合憲の根拠…防衛相答弁修正=毎日新聞
(2015年5月21日)
そして、「砂川判決」のもつ、 「反日的」性格の解明を試みた。
今、渦中にある「砂川判決」=「最高裁判決」=「田中判決」の、「出生の秘密」を、紹介する。
その「製造元」は、米国にあった。
「砂川判決」の反日性の解明は、それを正当性の根拠にする安保法制案を、読み解くことにもなる。
それは、法案のもつ「反日的」性格について、解明することにも、通ずることである。さらには、安倍政権の反日性をも、証明することになる。
Ⅰ) 「敗戦」後の、世の中の動きを確認する
参考のために、先に、「敗戦」後の、世の中の動きを確認しておきたい。
<歴史の動き>
・1945年8月15日 「玉音放送」 日本の降伏
・1945年9月2日 「降伏文書」調印 敗戦日
・1951年9月8日 「サンフランシスコ条約」 「占領」が、終了。
・同日 日米安全保障条約 (旧安保)
・1957年7月8日 「砂川事件」
・1958年 このころから、「安保闘争」が、激化しだす
・1959年3月30日 伊達判決=全員無罪
・1959年12月16日 最高判決「田中判決」=「一審破棄、差し戻し」
・1960年6月19日 日米安全保障条約 (新安保)が、「自然成立」
参議院は、議決せず
・1961年3月27日 最終判決=有罪”罰金刑”
・2014年6月17日 「砂川事件」再審請求
・2014年7月2日 安倍政権「集団的自衛権行使容認」の閣議決定
Ⅱ) 「田中判決」=最高裁判決の、「反日的」性格の証明するもの
① 布川玲子、新原昭治の両氏が、山梨学院大学の『法学論集』」に、<砂川事件「伊達判決」と田中耕太郎最高裁長官関連資料>という論文を、出しておられる。
それは、砂川事件の判決文にまつわる、論文である。
ここで検討するのは、その中の最高裁判決文。(わたしは、これを「田中判決」と、呼ぶことにしている。)
この最高裁判決をめぐって、「密談」が、日米の両政府高官によって、交わされていた。
この事について、見てみたい。
1959年7月31日に、ある「航空書簡」が、送られた。
この「航空書簡」のあとの、8月18日に、砂川事件の最高裁が、結審。
12月16日に、「一審破棄、差し戻し」の、最高裁判(=「田中判決」)が出された。
全員一致の判決であった。
その間の事情を物語るものが、以下に紹介する「マッカーサー・ウイリアム K. レンハート」の、「航空書簡」である。(要約が、あります。飛ばしていただいても、かまいません)
② この「航空書簡」を要約する。
1、2、3は、前段。4、5、6は、後段のコメントの要約。
1:砂川事件の判決は、おそらく12月には出せる。
2:弁護団は、あらゆる法的手段で、裁判所の結審を遅らせようとしている。
3:裁判長は、争点を事実問題ではなく、法的問題に限定するつもりだ。
4:日本政府が、新日米安全保障条約の提出を、12月開始の通常国会まで遅らせる決定をしたのは、砂川事件の最高裁が、大きな原因の一つ。
5:社会主義者たち(安保闘争)は、地裁法廷の、米軍の日本駐留は憲法違反であるとの決定に、強く依存している。
6:したがって、最高裁が、地裁判決を覆し、政府側に立った判決を出す。
そうすれば、新条約支持の世論の空気は、決定的に変わる。
驚くべきことに、これから出す判決について、当の関係者である駐日大使と、「密談をした」というのである。
これから出す判決文が、どのようなものになるのかについて、詳細に告げている。
さらに、他の裁判官の反論も予想して、「全員一致での判決」になるようにする、と言っている。
駐日大使は、この判決が、世論の空気を転換させ、「安保闘争」を「抑え込」むものになるだろう、という期待を寄せている。
まさに、ここに語られている通りの「田中判決」が出され、その後、新安保条約が、締結された。
Ⅲ) 「田中判決」=最高判決「砂川事件」の製造元は、米国にあった
次に、澤藤統一郎氏のブログから、引用する。
ここにも、「驚くべきこと」が、記述されている。
「田中判決」の元になる「論理」を考え出したのは、米国である、というのだ。
「文中」に、「日本国憲法の範囲内であって」とあるのは、「 範囲外」の、誤植である、と思う。
そうでないと、「文意の筋」が通らない。
この話の根拠については、「文書の出所」が、しめされていない。
しかし、これは、まったく根拠のない「話」ではなかろう。
澤藤統一郎氏は、弁護士である。
よもや、ありもしなことを、ブログに載せられるとは、思えない。
今後、これを裏図ける資料が公開されることを、期待したい。(もう、すでに出ていて、私が、知らないだけなのかもしれないが。)
さて、以後の話は、澤藤統一郎氏のブログの記事に基づいている。(だからといって、この記事の責任が私にない、という意味ではない。)
澤藤氏は、引用した記事のほかのところで、「恐るべき対米従属の実態ではないか」と述べられている。
私も、同様の意見である。
これほど、「砂川事件」の被告を愚弄するものは、ない。
また、それは、裁判そのものを、「愚弄する」ことでもある。
さらにいえば、日本の国民を、「裏切る」ことでもある。
そのような人物が、最高裁に居続けて、その後も、判決を出し続けた。(なお、長官を退官したのは、新安保条約が締結されたあとの、1960年10月24日である。その後、国際司法裁判所の判事に転じた。これは、興味ある事実だ。)
総じていえば、これは、日本の裁判史に残る、大きな「恥辱」であろう。
これは、日本国憲法の精神にも、反することだ。
現在の司法が、このような『邪悪』な精神に、まみれていないことを、願うばかりである。
Ⅳ) 安倍首相が、「田中判決」を根拠にする事の、「反日性」
(Ⅱ)、(Ⅲ)において、「田中判決」=最高判決「砂川判決」に、まつわる「おぞましい歴史」を、紹介し、見解を述べてみた。
安倍首相は、このたび、安倍内閣が上程した、安保法制案の根拠に、この「田中判決」を出している。
高村副総裁にも、何度も重ねて、「集団的自衛権」の根拠に、この「田中判決」を持ち出している。
安倍首相、高村副総裁が、(Ⅱ)、(Ⅲ)で、検討したようなことについて、「知らない」ということは、なかろう。
すくなくとも、(Ⅱ)の「航空書簡」については、「知らない」という事は、通用しない。
そうであるから、次のように言える。
このことは、とりのなおさず、安保法制案が、「反日的法案である」という事を、証明するものである、と。
また、それは、安倍政権の「反日的性格」を示すもの、ともいえるだろう。
≪資料≫
Ⅱ) 「田中判決」=最高裁判決の、「反日的」性格の証明するもの
① 布川玲子、新原昭治の両氏が、山梨学院大学の『法学論集』」に、<砂川事件「伊達判決」と田中耕太郎最高裁長官関連資料>という論文を、出しておられる。
それは、砂川事件の判決文にまつわる、論文である。
ここで検討するのは、その中の最高裁判決文。(わたしは、これを「田中判決」と、呼ぶことにしている。)
この最高裁判決をめぐって、「密談」が、日米の両政府高官によって、交わされていた。
この事について、見てみたい。
1959年7月31日に、ある「航空書簡」が、送られた。
この「航空書簡」のあとの、8月18日に、砂川事件の最高裁が、結審。
12月16日に、「一審破棄、差し戻し」の、最高裁判(=「田中判決」)が出された。
全員一致の判決であった。
その間の事情を物語るものが、以下に紹介する「マッカーサー・ウイリアム K. レンハート」の、「航空書簡」である。(要約が、あります。飛ばしていただいても、かまいません)
共通の友人宅での会話の中で、田中耕太郎裁判長は、在日米大使館主席公使に対し砂川事件の判決は、おそらく12月であろうと今考えている と語った。弁護団は、裁判所の結審を遅らせるべくあらゆる可能な法的手 段を試みているが、裁判長は、争点を事実問題ではなく法的問題に閉じ込める決心を固めていると語った。こうした考えの上に立ち、彼は、口頭弁 論は、7 月初旬に始まる週の1週につき2回、いずれも午前と午後に開廷 すれば、およそ3 週間で終えることができると確信している。問題は、そ の後で、生じるかもしれない。というのも彼の14人の同僚裁判官たちの多 くが、それぞれの見解を長々と弁じたがるからである。裁判長は、結審後 の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶる¨素になる少 数意見を回避するようなやり方で運ばれることを願っていると付言した。
コメント:大使館は、最近外務省と自民党の情報源より、日本政府が新日米安全保障条約の提出を12月開始の通常国会まで遅らせる決定をしたのは、砂川事件判決を最高裁が、当初目論んでいた(G-81)、晩夏ないし初秋までに出すことが不可能だということに影響されたものであるとの複数の示唆を得た。
これらの情報源は、砂川事件の位置は、新条約の国会提出を延期した決定的要因ではないが、砂川事件が係属中であることは、社会主義者やそのほかの反対勢力に対し、そうでなければ避けられたような論点をあげつらう機会を与えかねないのは事実だと認めている。加えて、社会主義者たちは、地裁法廷の米軍の日本駐留は憲法違反であるとの決定に強くコミットしている。もし、最高裁が、地裁判決を覆し、政府側に立った判決を出すならば、新条約支持の世論の空気は、決定的に支持され、社会主義者たちは、政治的柔道の型で言えば、自分たちの攻め技が祟って投げ飛ばされることになろう。
⇒ 砂川事件「伊達判決」と田中耕太郎最高裁長官関連資料=布川玲子・新原昭治
② この「航空書簡」を要約する。
1、2、3は、前段。4、5、6は、後段のコメントの要約。
1:砂川事件の判決は、おそらく12月には出せる。
2:弁護団は、あらゆる法的手段で、裁判所の結審を遅らせようとしている。
3:裁判長は、争点を事実問題ではなく、法的問題に限定するつもりだ。
4:日本政府が、新日米安全保障条約の提出を、12月開始の通常国会まで遅らせる決定をしたのは、砂川事件の最高裁が、大きな原因の一つ。
5:社会主義者たち(安保闘争)は、地裁法廷の、米軍の日本駐留は憲法違反であるとの決定に、強く依存している。
6:したがって、最高裁が、地裁判決を覆し、政府側に立った判決を出す。
そうすれば、新条約支持の世論の空気は、決定的に変わる。
驚くべきことに、これから出す判決について、当の関係者である駐日大使と、「密談をした」というのである。
これから出す判決文が、どのようなものになるのかについて、詳細に告げている。
さらに、他の裁判官の反論も予想して、「全員一致での判決」になるようにする、と言っている。
駐日大使は、この判決が、世論の空気を転換させ、「安保闘争」を「抑え込」むものになるだろう、という期待を寄せている。
まさに、ここに語られている通りの「田中判決」が出され、その後、新安保条約が、締結された。
Ⅲ) 「田中判決」=最高判決「砂川事件」の製造元は、米国にあった
次に、澤藤統一郎氏のブログから、引用する。
ここにも、「驚くべきこと」が、記述されている。
「田中判決」の元になる「論理」を考え出したのは、米国である、というのだ。
★就任早々の田中耕太郎最高裁長官が、駐日米大使マッカーサーと密会して、早期に伊達判決を覆す意向を伝えたという話しは既に有名だが、砂川事件大法廷判決の法論理はアメリカ側から提供されたものだというから驚かざるを得ない。
ジョン・B・ハワードという国務長官特別補佐官がいた。国務省きっての理論家として知られた人物だという。この男が、「日本国以外によって維持され使用される軍事基地の存在(在日米軍基地のこと=補足)は、日本国憲法の範囲内であって、日本が(の)軍隊または「戦力」の保持をにはあたらない」と言い始めたのだそうだ。
⇒アメリカ産の砂川事件大法廷判決=澤藤統一郎氏のブログ
「文中」に、「日本国憲法の範囲内であって」とあるのは、「 範囲外」の、誤植である、と思う。
そうでないと、「文意の筋」が通らない。
この話の根拠については、「文書の出所」が、しめされていない。
しかし、これは、まったく根拠のない「話」ではなかろう。
澤藤統一郎氏は、弁護士である。
よもや、ありもしなことを、ブログに載せられるとは、思えない。
今後、これを裏図ける資料が公開されることを、期待したい。(もう、すでに出ていて、私が、知らないだけなのかもしれないが。)
さて、以後の話は、澤藤統一郎氏のブログの記事に基づいている。(だからといって、この記事の責任が私にない、という意味ではない。)
澤藤氏は、引用した記事のほかのところで、「恐るべき対米従属の実態ではないか」と述べられている。
私も、同様の意見である。
これほど、「砂川事件」の被告を愚弄するものは、ない。
また、それは、裁判そのものを、「愚弄する」ことでもある。
さらにいえば、日本の国民を、「裏切る」ことでもある。
そのような人物が、最高裁に居続けて、その後も、判決を出し続けた。(なお、長官を退官したのは、新安保条約が締結されたあとの、1960年10月24日である。その後、国際司法裁判所の判事に転じた。これは、興味ある事実だ。)
総じていえば、これは、日本の裁判史に残る、大きな「恥辱」であろう。
これは、日本国憲法の精神にも、反することだ。
現在の司法が、このような『邪悪』な精神に、まみれていないことを、願うばかりである。
Ⅳ) 安倍首相が、「田中判決」を根拠にする事の、「反日性」
(Ⅱ)、(Ⅲ)において、「田中判決」=最高判決「砂川判決」に、まつわる「おぞましい歴史」を、紹介し、見解を述べてみた。
安倍首相は、このたび、安倍内閣が上程した、安保法制案の根拠に、この「田中判決」を出している。
高村副総裁にも、何度も重ねて、「集団的自衛権」の根拠に、この「田中判決」を持ち出している。
安倍首相、高村副総裁が、(Ⅱ)、(Ⅲ)で、検討したようなことについて、「知らない」ということは、なかろう。
すくなくとも、(Ⅱ)の「航空書簡」については、「知らない」という事は、通用しない。
そうであるから、次のように言える。
このことは、とりのなおさず、安保法制案が、「反日的法案である」という事を、証明するものである、と。
また、それは、安倍政権の「反日的性格」を示すもの、ともいえるだろう。
≪資料≫
★「米に公判日程漏らす 最高裁長官が、上告審前」=毎日新聞 2013/4/8
東京都立川市にあった米軍立川基地を巡り、米軍駐留を違憲とした59年の「伊達判決」直後に、当時の駐日米大使が日本側の外相や最高裁長官に面会していた問題で、外務省が「関連文書不存在」としていた従来の姿勢を翻し、文書の存在を認めたことが分かった。政権交代を受けて、文書を開示するよう再請求していた元被告側に2日夕開示した。一連の「密約問題」同様に、情報公開の趣旨を逸脱するこれまでの外務省の姿勢が明らかになった。【野口由紀】
開示を求めていたのは、同基地への立ち入りを問われた「砂川事件」の元被告、坂田茂さん(80)=川崎市中原区=と支援者ら計40人。
同事件の1審「伊達判決」を巡り、当時のマッカーサー駐日米大使が藤山愛一郎外相と会い、控訴を経ずに上告する「跳躍上告」を勧めていたことや、大使と田中耕太郎最高裁長官が上告審の時期の見通しについて密談していたことが08年4月、米側公文書で判明。元被告らが、09年3月に情報公開請求したが、法務省、外務省、内閣府、最高裁の4機関は同年5月までに、大使との会議記録などに関し「不存在」と通知していた。
今回、一転して外務省が公開したのは、伊達判決2日後の59年4月の「藤山大臣在京米大使会談録」。「極秘」との印が押された手書き文書で計34ページある。今後、支援組織の弁護士らが読解を進める。
公開の再請求は、昨年9月の政権交代で、岡田克也外相が一連の日米密約の調査を指示したことを受け、10月に行った。外務省以外の3機関は11月、以前と同じ理由で不開示としたが、外務省は12月25日、「現時点までに、該当文書を特定することができなかった」として、不開示を通知したものの、「最終決定ではなく、引き続き調査を行う」としていた。
坂田さんは「内容をよく見ないと分からないが、一歩前進だ」と喜び、同じく元被告の静岡市葵区、土屋源太郎さん(75)は「密約問題への世論が高まり、外務省としても真剣に考えざるを得なかったのだと思う」と話している。
(ブログ『日々坦々』さんの記事を使わせて頂いた。)
(関連サイト案内)
⇒「米軍違憲」破棄へ圧力 砂川事件、公文書で判明=47ニュース
2008/4/29
⇒最高裁長官「一審は誤り」 砂川事件、米大使に破棄を示唆=47ニュース 2013/1/17
⇒砂川事件最高裁判決の「超高度の政治性」――どこが「主権回復」なのか =水島朝穂
⇒集団的自衛権行使:砂川判決、合憲の根拠…防衛相答弁修正=毎日新聞
(2015年5月21日)