2015年6月10日水曜日

安倍首相が、安保法制案は最高裁判決と合致← 誤読か、ごまかしだ

安倍首相が訪問先のドイツで、記者団の質問に答え、安保法制案―砂川事件の最高裁判決を持ち出して―は、憲法解釈の基本的論理を全く変えていない、とのべた。

安倍首相が、またしても、海外から、日本の国民に情報を発信した。
ところが、帰国後の、今日の国会での
安保法制案の審議
には、出席しなかった。今、この法案の審議で答弁に立たずして、ほかにどんな重要な案件がある、というのか。
その姿勢こそが、国民をないがしろにするものであり、安倍首相への不信感を生んでいることを、自覚すべきではないか。
首相、安保法案は合憲と「確信」 ドイツで記者会見=47ニュース

 安倍首相の会見の要旨

会見の中で、ドイツの記者の質問に答えた部分について、まとめると次のようななる。(注①=記事の末尾)

*今やどの国も、一国のみで、自国の安全を守ることができない。

*わが国が、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として、当然のことと言わなければならない。これが憲法のまず基本的な論理の一つである。

*こうした憲法解釈のもとに、今回、自衛の措置としての武力の行使は、世界に類を見ない非常に厳しい、新3要件のもと、限定的に、国民の命と幸せな暮らしを守るために、行使できる、行使することにした。

*これは、他国の防衛を目的とするのではなく、最高裁判決に沿ったものであることは明確である。


この会見の中において、安倍首相は、一度も、集団的自衛権という言葉を使っていない。
使ったのは、「またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること。」という文脈おいてのみである。

この見解では、安倍首相は、自衛権について、個別的自衛権も集団的自衛権も、自衛権に含めて、考えているように思える。
あるいは、そもそも自衛権には区別がない、と考えているようにも思える。


 個別的自衛権と集団的自衛権は、重なりあう事がない

このことは、水島朝穂氏(早稲田大学法学学術院教授)が、指摘していることでもある。

水島氏は、憲法研究者の木村草太氏の解説には重大な問題がある、として、次のように書いている。
一つ目は、閣議決定の文言を法的に丁寧に読めば、個別的自衛権と集団的自衛権は一部で重なり合っており、閣議決定はその重なり合った部分に限定して集団的自衛権を認めたもので、個別的自衛権で対処できるものを、あえて集団的自衛権と呼んでいるだけだからさほど心配しなくても良いという主張である。これは作家の佐藤優氏も賛同し、あちこちで広めている。だが、これは誤りである
その理由として、水島教授は、次のようにのべる。
 個別的自衛権か集団的自衛権かは二者択一の関係にあり、ある武力行使が個別的自衛権行使でも集団的自衛権行使でもあるということはあり得ず、両者が重なり合うことはない。
 半世紀以上維持されてきた政府解釈は、個別的自衛権を「自国に対する武力攻撃を実力で阻止する権利」集団的自衛権を「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」と定義し、この定義は変更できないとした上で、両者は、自国に対する武力攻撃に対処するものかどうかという点で明確に区別されるとしてきた。 
集団的自衛権行使容認 閣議決定の波紋】合憲ライン 踏み越えた=琉球タイムス
このことの理解が、欠けていれば、全ての議論は、ぐちゃぐちゃになる。
 繰り返せば、個別自衛権と集団的自衛権は、明確に分かれる。

つまりは、こうなる。
個別自衛権でもあり、集団的自衛権でもある、ということはない。
同様に、集団的自衛権であって、個別自衛権でもある、という事もない。



◆ 安保法制案の審議において、内閣法制局長官が、はっきりと否定した

さらに、念には念をいれておこう。
それは、次の事実のことである。

本日、10日の、安保法制案の審議において、内閣法制局長官は、砂川判決についての質問に答えて、はっきりと次のようにのべた。

砂川判決は、個別的自衛権のみについて言及しており、集団的自衛権については、何ら触れてはいない。
こう言い切った。

それはそうである。
砂川事件は、米軍基地が絡んだ問題である。
判決は、米軍を日本における「戦力」とは認めていない。

よって、集団的自衛権については、判断をさけた、のである。
なぜ、こういう判決を下したかという事は、今は問題ではない。

肝心なことは、最高裁は、集団的自衛権については、何も見解をのべなかった、ということである。

だから、安倍首相が、「砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするもの」と述べたことは、正しくない。
このことである。

安倍首相が、故意にゴマかしたのか、あるいは、心から本当にそう信じているのかについてまでは、推察する気はない。
あるいは、「砂川判決」を詳らかには、読んでいない、のかもしれない。
わたしも、wikipediaで、概略を知っただけのことである。

判決そのものを読んだわけではない。
だが、確信を持って言えることは、安倍首相がいうような論理は、国際社会においては、受け入れられないであろう、ということである。

また、ひとつ、日本国が、世界に恥をさらすことになった、のではないか。
そんな気がする。



(注①)
質問に対する安倍首相の全文

大切な指摘でありますので、私からまさに今国民の皆様に直接、丁寧にお答えをさせていただきたいと思います。国民の命と幸せな暮らしを守っていく、そのことは、政府の最も重要な責務です。わが国を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増しています。脅威は容易に国境を越えてくる。今やどの国も一国のみで自国の安全を守ることはできません。私も数々の首脳会談を行いながら、日本の平和安全法制について説明をしてきたところでありますが、こうした認識についてはほとんどの国々と共有できていると思います。

このような中、あらゆる事態を想定し、切れ目のない備えを行う。それこそが平和安全法制でありまして、この平和安全法制の整備が切れ目のない対応をして、日本人の命を守るためには不可欠であると思います。今回の法整備にあたって、憲法解釈の基本的論理は全く変わっていません。この基本的論理は、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。

この砂川事件の最高裁判決、憲法と自衛権にかかわる判決でありますが、この判決にこうあります。わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として、当然のことと言わなければならない、とあります。これが憲法のまず基本的な論理の一つであります。

こうした憲法解釈のもとに、今回、自衛の措置としての武力の行使は、世界に類を見ない非常に厳しい、新3要件のもと、限定的に、国民の命と幸せな暮らしを守るために、行使できる、行使することといたしました。

その3要件とは、わが国に対する武力攻撃が発生したこと、またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること。そしてこれを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために、他に適当な手段がないこと。つまり、外交的な手段はやりつくすと、やりつくした上で国民の命を守るためには、これ以外に手段がないという状況になっているということであります。そして、その上において、必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、という新3要件があるわけで、この新3要件を満たさなければ、国民の命を守るため、そして、幸せな暮らしを守るため、武力行使はそれ以外にはもちろんできないわけでありますが、そのための武力行使におきましても、この3要件を満たさなければならないという、この3条件があるわけです。先ほど申し上げました、憲法の基本的な論理は貫かれていると私は確信をしております。

これは、まさに今、3要件を聞いていただいた皆さんは理解していただいたと思いますが、他国の防衛を目的とするのではなく、最高裁判決に沿ったものであることは明確であると思います。政府としてはこうした議論を十分に行った上で昨年7月に閣議決定を行いました。
安倍晋三内閣総理大臣 エルマウ(ドイツ)サミット終了後 記者会見=BLOGOS

(2015年6月10日)