2013年7月23日火曜日

神戸大、同志社、関西外国語の学生大■■■UFJ妨害で書類送検

若者の暴走が絶えない。

昔からあったことであるが、だんだん幼稚化している気がする。
テレビや、ネット社会の影響が大きいのかもしれない。


三人はアトラクションのボートから飛び降りるなどして、運行を止めた。
一人は、ジェットコースターで手首を折ったと、ツイッタ―に書き込んだ。
「とにかく目立ちたかった。人からすごいと言われたかった」と言っている。

ボートから飛び降りることやツイッタ―に書き込むことで、目立ったり、人がすごいと思うと考え段階で、すでに幼稚である。

関西では、有名とされている大学の学生である。
有名だから、バカで幼稚な事をしないと思うのは、間違いかもしれない。

受験勉強では目立つことが出来ない。
鬱屈したものが、集団心理が働いて、表に出たものか。
社会病理学的な診断は、専門家にまかそう。

が問題にしたいのは、そのことについての本人たちの反応である。
事件が報道されたとき、何かといううと「面白半分でやった」と言い訳がなされる。

まるで、「面白半分なら許される」と思っているかのようである。
これもテレビの影響というと、単純過ぎる見方か。

広島の例でも、暴行の現場をスマホで撮り、その様子を書き込んでいたと報道されている。
まるで、バーチャルな世界と観違いしているかのようである。
現実と虚構の世界の区別がついているのか、聞いてみたい。

そのような現場を、平気で撮り、ネットで流す。
そのこと自体に、何の罪も感じない。むしろ、面白がる。
これは正常な感覚だはない。
まるで不感情病者のごとくである。

ネット社会は、このような不感情病者のような若者を、大量に作り出すことになるのであろうか。

のようなことは、ネット社会が出来るまではなかった現象である。
発信者の特定は、普通の能力では出来ない。
誰が書き込んだのか分らないのをいいことに、このような残酷な事が平気でする。

これはもう、未成年の少女だからという理由で許すことは出来ない。
まして、直接に「被害者を死に至らしめた」少女たちは、名前を公表するべきだ。

「人権派の弁護士」や,「進歩的文化人」と言われる人たちは,ほっておけばいい。
彼らは、自己満足で、騒いでいるだけだ。

所詮、当事者でないので、被害者の気持ちは理解することは出来ない。
よく言われることであるが、自分の家族が同じ目にあっても、同じように言っていることは出来ないであろう。
出来ると言う人のみが、未成年の「加害者の特権」をいえばいい。

見せしめでは、犯罪はなくならない。
確かにそうであろう。
しかし、一般論では、被害者の心情は、理解できない。

もういい加減に、凶悪な犯罪に限っては、未成年でも、大人と同じ扱いをするべき時である。1