2013年7月4日木曜日

ネット選挙を考える

ネット選挙が始まる。

先日、自民党ネットメディア局長の平井卓也衆議院の他党首の悪口をスマートフォンで書き込んだ、と報じられた。
(東京新聞  6月29日 朝刊)

本人は,謝ったものの、国会のヤジみたなものだ、と述べたとのこと。
今は、TVを持たないので国会中継を見る事はないのだが、
国会とはこんなヤジが飛び交うところなのか。

これでは子供や若者の暴言とかわらない。
年齢が明記されていないので、歳は不明である。
いい大人が使う言葉ではなかろう。

しかも国民の代表である国会議員なのである。
あきれかえる。

これが自民党のネット選挙の先導者の言葉だ。
初めからこれでは、先が知れた。

指導監督するべき立場にある者がこれでは、示しがつくまい。
もっとも、指導監督するにふさわしから、任命したのではないのかもしれないが。
しかしそれは言い訳にはならない。

だがこれは、ある意味、おもしろいことである。
あの退屈な国会の議論よりおもしろいものが、
これから観られるかもしれない。

国会の退屈な議論につきあうことなしに、
各議員の「生態」を知る機会になるかもしれない。

一度書き込まれたり、動画などで流されたものは取り消せない。
本人が取り消しても、誰かがコピーしていれば,ネットの中を飛び交う。
それはずっと残ることになる。

新聞やTVは、切り取りをしたり録画したりしないと、保存が大変である。
その点、ネットなら簡単にできる。

こうなると嘘を言ったり、誹謗中傷したり、暴言をはいたりした議員や候補者を特定することが出来る。
そういう意味では、言ったことに対する責任がはっきりする。

あらためて言わないでも、国会は言論の府である。
国会議員にこそ言論の自由は保障されている。
憲法にも明記されている。

暴力ではなく,言論をもって、戦うことが要求される。
しかしその言論は、他人を著しく傷つけるようなものであってはならない。

今国会は退屈なものになってしまっている。
官僚の作文を棒読みしたり、官僚が議員に代わって答たりするからである。
田中角栄なきあと、国会法から自由討議の条項が外されてひさしい。
が、ここにきてそれが別の形で実現するかもしれない。

だが、言論の府である国会議員に、他の議員が「黙れ」と言う。
この議員は何をもって、国会議員である事を証明するしようというのであろうか。

今回解禁されたネット選挙は、有権者にとっては、不十分な制度である。
候補者や政党に大きな自由が保障されたものになっている。

それだけに各候補者や政党は、細心の注意を払って、行動することが要求される。