2013年7月3日水曜日

参議院選挙について考える(5) 参議院の存在価値はどこに

今回の選挙について考えるの最後の章。
参議院そのものについて考えてみる。

一般に言われる、参議院は衆議院のカーボンコピーにすぎないということについてである。


参議院の存在意義は何か。

やはり、それを考えるキーポイントは、憲法のもつ性格である。
憲法が国を縛るものであるという、このことである。

確かに現在の参議院は、無党派の議員はほとんどない。
そして政党は、議決の際、所属議員に党議拘束をかける。
だから衆議院と同じ結果が予想される。

しかし現在のように、「ねじれ」といわれる状況があれば、国を縛るという観点からすれば、
良いことである。
時の政権にとっては、やっかいなことであろうが。

必要な政策がとれないということはあろう。
しかし本当に国民のために必要な事であれば、個々の問題については、
合意点は見つけることが出来よう。

だが、国の根幹にかかわるようなことについては、慎重であるべきだ。

参議院が、別に「良識の府」である必要はないと思う。
もちろんそうであれば、それはそれでよいことではある。
しかし「良識」の定義はあいまいである。

がとにかく、衆議院の暴走を止めるということの役割は重要である。

タレント議員、スポーツ議員、アナウンサー議員がいてもよい。
以前にはこのような議員のいることには反対であった。
しかし、ソコイラヘンの平凡な国民が議員になることは、すこしもおかしい事ではない。
このように思うようになった。
憲法の事が分るようになったからである。

ただ一点、憲法が何を予定したものであるかを、理解している人であればよい。
こう思うようになった。
政治的・法律的に、特別な能力をもった人でなくても良い。
むしろそのような人に限定することこそ、危険である。

我々の代表なのである。
我々はほとんどの人が凡人だ。
そうでないという人もあろうが。

しかしただ凡人では困るので、官僚がいる。
問題は、凡人である政治家が、官僚をコントロールできないことにある。
あるいはそのような仕組みになっていないことにある。

だから、問題は官僚を使いこなせるようになれるかどうかである。
その能力を身に着け、磨くことが、政治家に求められることである。
こう考えるようになった。

また、官僚の暴走をおさえて、官僚が本来の役目を担う仕組みにすればよい。
もちろんそれは簡単なことではなかろう。
現在の官僚を相手にできる組織がないからである。

中国の官僚制度が長続きしたのは、宦官の存在であった。
この二者がお互いにの牽制し合ったので、うまくいった。
この「宦官」に当たるものを作り出せばよいのではないか。

どちらにしても、参議院が必要であることは確かである。
特に今日のような状況では、そうである。

憲法の改正が、国会議員の過半数できまる。
つまり国民の25パーセントで良い、となると大変だ。

コロコロと憲法が変わることは問題がある。
むしろ、憲法の持つ性格からいえば、簡単に変えられることはよくない。

政権の変化や、時どきの社会現象の変化で簡単に変えられるようなことは、
避ける必要がある。

憲法の根本的な問題を材料にして、参議院の存在意義について考えてみた。