梅雨があけた。
とたんに気温がうなぎ上りである。
体がだるくなるのは分っていても、エアコンを強冷にして過ごす。
外に熱風を出すのは良くないと、頭では理解していてもエアコンをつけずにはおれない。
夏が近づいて、今年も、クールビズの掛け声がかしましい。
今年は5月1日から始まった。
クールビズの掛け声のもと、一斉に、ネクタイを取り、背広を脱ぐ。
洋服のメーカも、商魂たくましく、さまざまなデザインを考える。
メディアも一斉に、話題にする。
北朝鮮を笑ってはおれない。(北朝鮮の人々には申し訳ないが)
国会では、衆参両議院で、5月1日よりクールビズを始めることを決めた。
ところが不思議なことに、なぜか、本会議室では背広の着用を求めた。
テレビ中継が世界に流れたときに、笑いものになるのを、避けるためか。
特別な使命を持つ(たとえば消防士など)者でもない、国会議員の服装を、国会が議決する。
この事自体が異様な事である。
がだれも、正面切って異を唱えない。
服装を国会で議決する国が、どこにあるのだろう。
日本は、野蛮な国だとも思われるのも、無理はない。
国連大使が、人権について討議する議会の席で、「黙れ」と大声を張り上げる国だ。
それを、総理が問題にもしない。
こんな恥さらしな事はない。
もともと日本には、衣替えという習慣が前からあった。
それは、6月を過ぎて暑ければ、ネクタイを外し、洋服を着なくても、構いませんよ、ということである。それは、けっして強制ではない。
蒸し暑い土地での、生活の知恵であった。
衣替えは、季語にあるくらいである。
クールビズもやがては季語になるか。
(一句 ) 服装を 政府が決める クールビズ
張矢張り日本は空気が支配する社会から、まだ抜け出していない。
そして横並びの習慣は、相変わらず存在する。
言いたくはないが、どうしても戦前の状況を考えてしまう。
たぶんこんな状態であったのだろうと想像する。
上からの掛け声の下、一斉に、動き出す。
どうしてこうなるのであろうか。
服装ぐらいの事でそんなに目くじらを立てることはない、と思われるかもしれない。
しかし私は逆に服装のような個人的な事を、政府が決め、それを国民になかば強制する。
そしてこのことに意義を唱えることが出来ない。
まわりの状況に流されてしまう。
この事が問題であると言いたい。
どうやらこの事は、日本におけるその他の状況でも見られる。
この状況こそが、問題なのである。
問題であるということを認識し、あらためることが必要である、と思う。
これは決して、「自虐史観」からくるものではない。
世界から笑いものにされないために。
また、日本をまっとうな国にするためにぜひ必要な事である。
とたんに気温がうなぎ上りである。
体がだるくなるのは分っていても、エアコンを強冷にして過ごす。
外に熱風を出すのは良くないと、頭では理解していてもエアコンをつけずにはおれない。
夏が近づいて、今年も、クールビズの掛け声がかしましい。
今年は5月1日から始まった。
クールビズの掛け声のもと、一斉に、ネクタイを取り、背広を脱ぐ。
洋服のメーカも、商魂たくましく、さまざまなデザインを考える。
メディアも一斉に、話題にする。
北朝鮮を笑ってはおれない。(北朝鮮の人々には申し訳ないが)
国会では、衆参両議院で、5月1日よりクールビズを始めることを決めた。
ところが不思議なことに、なぜか、本会議室では背広の着用を求めた。
テレビ中継が世界に流れたときに、笑いものになるのを、避けるためか。
この事自体が異様な事である。
がだれも、正面切って異を唱えない。
服装を国会で議決する国が、どこにあるのだろう。
日本は、野蛮な国だとも思われるのも、無理はない。
国連大使が、人権について討議する議会の席で、「黙れ」と大声を張り上げる国だ。
それを、総理が問題にもしない。
こんな恥さらしな事はない。
もともと日本には、衣替えという習慣が前からあった。
それは、6月を過ぎて暑ければ、ネクタイを外し、洋服を着なくても、構いませんよ、ということである。それは、けっして強制ではない。
蒸し暑い土地での、生活の知恵であった。
衣替えは、季語にあるくらいである。
クールビズもやがては季語になるか。
(一句 ) 服装を 政府が決める クールビズ
張矢張り日本は空気が支配する社会から、まだ抜け出していない。
そして横並びの習慣は、相変わらず存在する。
言いたくはないが、どうしても戦前の状況を考えてしまう。
たぶんこんな状態であったのだろうと想像する。
上からの掛け声の下、一斉に、動き出す。
服装ぐらいの事でそんなに目くじらを立てることはない、と思われるかもしれない。
しかし私は逆に服装のような個人的な事を、政府が決め、それを国民になかば強制する。
そしてこのことに意義を唱えることが出来ない。
まわりの状況に流されてしまう。
この事が問題であると言いたい。
どうやらこの事は、日本におけるその他の状況でも見られる。
この状況こそが、問題なのである。
問題であるということを認識し、あらためることが必要である、と思う。
これは決して、「自虐史観」からくるものではない。
世界から笑いものにされないために。
また、日本をまっとうな国にするためにぜひ必要な事である。