2013年7月5日金曜日

参議院選挙について考える(6) 改憲についての再論

自民党がTBSの取材・出演を拒否した、と報道された。


https://news.google.com/news/section?pz=1&cf=all&topic=p&siidp=d417121caca29b0df57ec2fb725adf26ab65

今回の選挙で憲法改正を問うのは、争点のはぐらかしであると思うので、
反対である。
しかし、このような事態になっているので、あらためて憲法改正について考えてみたい。

日本国憲法は、その第21条で、出版その他一切の表現の自由を保障している。
その一方で第12条では、権利の濫用を禁止し、公共の福祉のために利用する責任を
明記している。

当然のことであり、何人といえども、個人の利益追求のみを行うことがあってはならない。

今回のTBSの放送内容が[公正」を著しく書くものであるのかどうかは、
実施の報道を見ていないので、コメントできない。
しかし、政権政党である自民党が、選挙期間中にもかかわらず、
TBSの取材・出演を拒否するのは、公正な態度とは言えまい。

[公正」を欠く報道したと思うのなら、むしろTBSに出演を要請してその場で、
司会者に問ただし、国民に説明すべきである。
一方的に取材・出演を拒否するのは、「黙れ」というに等しい。

一方で安部首相がフェスブックで元外務審議官の田中均氏を名指しで批判した。
毎日新聞のコラムで氏が安部首相の外交政策について、述べたことに対してである。

その発言が気に入らないからと言って、一国を代表する首相のすることではなかろう。
党内の小泉議員の、そのようなことはやめるべきであるとの声があるにもかかわらず、
今後もやめないと言ったと伝えられている。

先日は、自民党のネットメディア局長が、スマートフォンに「ババア、黙れ」と
書き込んだと報道された。

以前にも東京都の石原知事が、がれき受け入れに際し、「黙れといえばいい」と
発言したことがある。

また大坂市の橋本市長が、公的会見を中止すると発言したこともある。
新聞は一部分だけを取り上げて、ねじまがった報道をするからという理由からである。

しかし、このように政治家が「黙れ」と発言することが理解できない。

黙れと言って、一方的に相手の言論を封殺することが、政治家として正しい事なのか。
言論をもってせずして、なにをもって政治を行なうというのか。

自民党の憲法改正案は、表現の自由を保障するとしながら、
「公益および公の秩序を害すること事を目的とした活動」を、
禁止している。

それと関連して改正案第12条では、
国民の自由や権利に対し、常に公の秩序に反してはならない、と明記している。

これらの条項は国民にたいし、憲法が大きな制限を加えていることになる。
自民党や安部首相の今回の言動は、自民党の憲法改正案の先取りとも思えるほどである。

それに加えて、国・郷土愛や家族愛の強制など、国民の内面的なものにまで踏み込んで、
規制しようとしている。 

これらのことは、国民一人一人のプライバシーに関することがらであって、法律できめるようなことではない。
ましてや憲法で規定するようなことではない。

愛するとか、大切にするとかいうことは、個人に任されることであって、
誰かに命令されたりするような事柄でない。
自民党の改正案は、国が国民に命令し、その言動を管理し、大きく規制しようとするものになっている。

現代の日本の社会状況全般が、大きく悪化していることを懸念してのことであろう
しかしその原因は、現在の日本国憲法にあるのではない。

むしろ現在の憲法が十分に機能していないことにある。
現在の憲法が「死んだ状態」にあることが根本的な原因である。

そして憲法をそのようなものにした責任の大半は、
自民党にこそあるのではないのか。
その反省もなく、憲法を変え、国民に責任を負わせるのは筋違いである。

国民主権を謳いながら、国民に対し命令するようなものは憲法ではない。
近代社会にける憲法は、この事が基本である。

重要な事なのでくりかえす。
憲法は、あくまで国民が国家に対して命令するものである。
断じてその逆ではない。
国家権力を縛ることで、国民の生命、財産、自由などを守ることがその目的である。

三権分立も最高裁判所の違憲立法審査権も、国会議員を選挙することも、
すべてそのことが目的である。