2013年7月8日月曜日

原発再稼働は容認できない(3)....「 原子力審査指針」から

原発再稼働に際して、その基本に戻って考えてみたい。
何か問題が起きた時には、基本に変えるのが、解決への第一歩であると思うからである。

原発再稼働における基本とは何か。
それは原子力審査指針である。
昭和39年5月27日 の原子力委員会の決定である。


その 指針は、以下のようになっている。

(これは→ブログの筆者の追加)原子炉安全専門審査会が、陸上に定置する原子炉の設置に先立って行う安全審査の際、万一の事故に関連して、その立地条件の適否を判断するためのものである。
1 基本的考え方
1.1 原則的立地条件
 原子炉は、どこに設置されるにしても、事故を起さないように設計、建設、運転
及び保守を行わなければならないことは当然のことであるが、なお万一の事故に備
え、公衆の安全を確保するためには、原則的に次のような立地条件が必要である。
(1) 大きな事故の誘因となるような事象が過去においてなかったことはもちろ
んであるが、将来においてもあるとは考えられないこと。また、災害を拡大す
るような事象も少ないこと。
(2) 原子炉は、その安全防護施設との関連において十分に公衆から離れているこ
と。
(3) 原子炉の敷地は、その周辺も含め、必要に応じ公衆に対して適切な措置を講
じうる環境にあること。

このように立地条件について述べられている。

また、youtube2012,06,13に公開された「すべての原発は、違法」によると、
「例えば立地場所できわめて大きな地震、津波や台風などの自然現象が過去になかったことはもちろん」という箇所が抜けておちている。画面では、(1994、10より)の文字が見られる。

今指針にアクセスすると、平成元年改定とあり、上記の文字が抜け落ちていることは不思議である。例のごとくに、誰かの手により改ざんされたのか。

この部分があるのとないのとでは、大きな違いがある。
いま手元に印刷されたものがないので、この抜け落ちている文章が在るのだという仮定で、
話を進めたい。(正確な事は、図書館で調べて後日、報告したい。)

さて、この指針によれば、今ある原発の建設が許されてきたこと自体に、誤りがある。

もっともそれは、「原則的」にとされているので、必ずそうせよ、とまではいっていない。
そうでもしないと、日本に原発を作るのは、無理ということになるからであろう。
そのことを見込んで、例外が許されることにしておいた、ということなのであろう。


もし厳格にこの条件を適用するなら、今後の原発の建設はもちろんのこと、再稼働も許されない。
そして、いまある日本すべての原発は、廃炉にする必要がある。
もちろん、廃炉は、建設を認めた国に責任がある。
従って、国が責任をもって、おこなうことになろうが。

こう見ていくと、今回の原子力規制委員会のきめた「安全の新指針」と、この指針との整合性は、どのように考えればよいであろうか。

この指針を無視して、「安全の新指針」が問題ないと言うことが出来るであろうか。
私は出来ないと思う。
福島の事故の結果起きた様々な事を考えると、この指針こそが、守られなければならないと思う。

いろいろ複雑な事情があるのは理解できる。
電力会社側の経営上のこと。
産業界の要請。
アメリカからの圧力(?)。
当該地方自治体からの要請。補助金がなくなると困る、住民の仕事がなくなり、失業者が増えるなどの声。
これ以上電力料金を上げてほしくないという消費者側からの要請。
国事体の仕事が減る事に対する抵抗。等々。

しかし今回の事故の結果は重要な判断材料である。

メディアは時どき、思い出したように事故に関することを報道するだけである。
一方で、絆を強調し、福島の周辺がいかにも安全になったかのように伝えている。
しかし事故は今もって、収束していない。

事故の原因を解明しつつ、「安全が確認された」なら再稼働するべきであるという。
しかし、今もって、原子炉の状態がどうなっているのかも分らず、事故の原因も解明されていないのに、どうやって安全を確認するというのであろうか。

とにかく再稼働したいのだ。
安全などどうでもよい。
地震などいつ来るかもわからないものなど気にしておれるか。
国民や地域住民の命などどうでもよい。
関係自治体は、お金がほしければ、何も言うな。
これは国策なのだから。

このように心の中では考えているように、私には思える。

しかし、いま日本はまさに国家存亡の危機状態にあると思う。
じっくりと考えている時ではないのかもしれない。
だが危機であるからこそ冷静な対応が必要である。

本当に真剣に、国家存亡の危機にあるとの認識があれば、原発の再稼働はやめ、今動いている大飯原発も稼働中止すべきである。

そして今回の戦挙で徹底的に議論し尽くしてもらいたい。
現在と将来の日本のあるべき姿について、意見を戦わせてほしい。

憲法改正を争点にしている時ではない。