2013年7月19日金曜日

嘆かわしい・・・「選挙に行くと野菜がもらえる」

かわしい。
やはり日本の政治は、いまだに三流だ。

東京テレビが「日曜は議員選挙 ・・野菜がもらえる!”選挙で得する”方法」というニュースを流していた。


* 東京のある商店会の八百屋では、選挙に行ってから買い物をすると、余分に一袋野菜をサービスしてくれると言う。
投票率を上げ、地域を活性化するためだと言う。

何故、商店会が投票率を上げるためにサービスをしなければならないのだろう。
地域を活性化させるためなら、選挙を持ち出す必要はない。

* 別の店は、選挙に行ったことを携帯などで証明すると、お菓子のつかみ取りができるそうである。
店主いわく、「お前えらいぞ、若いのに投票に行って」、ということだそうである。
そして「ドンドン、とりあえず言ってほしい」のだそうである。


選挙はとりあえずいくものなであろうか。
また若いのに投票に行くことが、そんなに偉いことなのか。

若い人は、投票に行かないのが当たり前なのか。
バカなことを言ってはいけない。
若くても行く人はいく。

* ある老舗のトンカツ店では,トンカツを頼むと、大根おろし(通常120円)のサービスがあるのだという。
たかだか120円のサービスをしてもらいたいがために、だれが選挙に行くのか.
そのようにお客さんがおもうと考えると思うのなら、間違いだ。

子ども扱いと同じだ。
子供に「使い」をたのんで、120円駄賃を渡すのと変わりない。

商売をしていながら、店に来てもらって、お金を使ってもらって、そんな失礼な対応があろうか。
こんなお客をばかにした扱いはない。
私なら、そんな店には、二度と足を運ばない。

仮に、店が繁盛することを考えるのなら、正当な方法で宣伝したほうがよい。
若者にすこしでも選挙に関心を持ってほしいのだと言う。
とにかく「お得だから投票に行って」、ということのようである。

どのタイプも要するに、投票に行ってもらいたいということのようである。
しかし商売をするなら、選挙など持ち出さずに、商売をすればいい事である。
こういうのを世間では「余計なおせっかい」、という。

大人なのである。

選挙における投票は、個人の意思に関することである。
誰かに言われたら行く、言われなければ行かない、というようなものではない。
ましてや、「何か」をもらえるから行くというようなものでは、けっしてない。

政治が国民に無関心であることはないが、政治に関心がない国民もいよう。
しかし投票に行く、行かないは、個人の問題である。

誰かに、命令されたり、強制されたり、勧められたりして、「投票」にいくものではない。
子供に笑われる。

り上げるテレビもテレビだ。
まったく見識がない。
こんなニュースを見て、選挙に関心を持ったり、投票に行くと、考えているのか。

投票にいかないのは、「投票する政党や候補者がいない」という場合もあろう。
関心をがないのではなく、関心があっても、投票したい政党や候補者が見当たらないのだ。

投票率を上げるために、このような内容のニュースを流す必要はない。
選挙管理委員会同様に、テレビが投票を呼びかけるのも、余計ななことだ。

どの党が優勢であるといった世論調査。
またどの候補がリードしているといった、「競馬の実況中継のような」報道。
このような報道も、余計である。

世論誘導の疑いが十分だ。

大事な選挙であることは分っている。
でも、投票したい相手が見つからないのである。

民主党は公約を反故にした。
自民党は、野党の時に言ったことを忘れ、政権を取ると変身した。
公明党は、政権にいたいばかりに、自民党にくっついている。
他の政党は、少数なので、あてにできない。

小選挙区の候補者は,所詮、所属政党から自由ではない。
肝心の議決の時には、政党に縛られる。

投票に行って誰の名前を書け、というのか。
投票に行かないのも、意思表示の一つである。

元来、投票は国民の「義務ではなく、権利」なのである。
権利の行使は、個人が個々に考えることである。

かし、選挙で選ばれた議員によって政治が行われる以上は、選挙の持つ意味をよく知っておくことは、大切である。

だいたい大人になってからでは遅い。
子供の時に、しっかりと教育しておくことが必要だ。

だから学校での教育が肝心である。
今では高等学校も義務化に近い。
12年間学校で学ぶ間に、それぞれの段階で、しっかりとした政治学習が必要である。

暗記だけの内容ではなく、実際的な教育もよく考えなくてはならない。
先日のように親の投票について行った子供が、投票するなどということは、理由の如何を問わずあってはならない。
込み合っていたなどということは理由にはならない。

戦挙がいかなるものであるのかを知らないからこうなる。
投票させる親も親だが、子も子だ。

選挙が大事なものであると言う認識がないから、軽い気持ちで許したのだろう。
親の「意中の人」であったなどという言い訳は、とんでもないことである。

普通の人が選挙に行けるようになるために、どれだけの尊い命が奪はれ、血が流されたことかを考えれば、とうていおろそかにできることでない。