2014年1月2日木曜日

年頭に当たり、一年の抱負を語ってみました。

新年明けましておめでとうございます。
昨年は多くの方々に、私のブログを訪れて頂き、感謝します。

今年もよろしくお願いいたします。


2012年に始めたこのブログも、3年目に入りました。

初めは、日記代わりのつもりでいましたので、非公開にしていました。
でも、それではいい加減なものに終わりそうな気がして、清水の舞台から飛び降りるつもりで、公開にふみきりました。

今では公開したことを、成功だったと感じています。
当初の意気込みと違い、投稿が不定期になったり、途中で他の会社のブログに変わったりで、決して満足のいくものではありませんでした。

それでも、多くの方々に見て頂き、自信を持つことが出来ました。
今年は、比叡山の「1000日回峰」にならって、1000回連続投稿に挑戦したく思っています。

ただ「数をこなすこと」だけが目的にならないように、自戒しながら、努力を続けたいと思いますので、よろしくお願い致します。

今年、一年の抱負を述べる代わりに、ウェイン・W・ダイア―著の『自分のために人生』という本の抜書きを貼り付けておきます。

この本は、「人生の師」を持たない私が、迷ったり、困ったり、落ち込んだりした時に、慰めてくれた本です。

『・・・自分は誰なのか。自分をどういう言葉で表現するのか。自分ではなく他人によってなされて
きた選択や今までの自分の選択とはまったくつながりのない、何か心引かれるような新しいレ
ッテルを考えてみよう。使い古しのうんざりするようなレッテルのために、充実した人生を送
ることができないかもしれないのだ。

何かを学ぶことについて、マーリン(訳注・アーサー王を助けたりっぱな魔法使い)が語っ
た言葉を思い出してみよう。

悲しい気分のときに一番ふさわしいのは、それは何かを学ぶことだよ。学ぶこと
――それだけが唯一、駄目になることを知らぬものなのだ。
.お前は年をとり、骸骨のようになってふるえるかもしれない。乱れた脈の音を聞きながら、
眠れぬ夜を過ごすかもしれない。愛するただ一人の人を恋しく思うかもしれない。自分の住む
世界が邪悪な狂人たちの手で荒らされるのを目の当たりにし、自分の名誉があさましい心根
の連中に踏みにじられるかもしれない。
 そんな時に出来ることはただ一つしかない。学ぶことだ。どうして世界がうごいていくのか、
何が世界を動かすのかを学ぶのだ。精神が倦むことなく、仲たがいすることなく、苦しめられ
ず、恐れも疑いもせず、後悔など想像もしない。学ぶと言うことはそういうものなのだ
 学ぶことこそお前にふさわしい。見るがいい。学ぶべきことがどんなにたくさんあるか。
唯一の純粋さがそこにはある。
 一生かけて天文学を、三生かけて博物学を、六生かけて文学を学ぶがょい。そうやって百
万生を費やして生物学、医学、神学、地理学、歴史学、経済学などの学問を学んだ後に、よ
うやく荷馬車の車輪をそれにふさわしい木材で作る作業にとりかかればよい。フェンシング
で相手を倒すことを学ぶようになるまで、さらに五十年、学びつづけるがよい。そして、耕
し方を学ぶときがくるまで、もう一度数学の勉強をはじめることだ。』

以上の文章がこの本で、私が一番気に入っているものです。

上の文書の精神を忘れることなく、今年は、「大いに学び、かつ記事を投稿すること」を目標にしていきたく思っています。

(本当は、実名を出したいのですが、身内から反対されており出来ません。
いい年をしてお恥ずかしい話なのですが、「世間体」を気にするのを責める事も出来ません。)
≪参考書≫ 
ウェイン・W・ダイア―著   『自分のために人生』   三笠書房     渡部昇一訳