2014年1月8日水曜日

日本社会とボランティアについて考える

常々日本におけるボランティアの在り方に疑問を感じていた。
それが偶然ある本と出合った事で、解消した。


全文を転載したいのだが、著作権の事もあるし、いちいち許可を取るのも面倒なので、要点をまとめてみる。

野口悠紀雄氏の、『日本経済は本当に復活したのか』という題名の本です。

この本の71ページに【日本の「ボランティア活動」はボランティアの活動か?】という章があります。

この章は、これまで私が疑問の思っていたことを見事に解消してくれています。

野口氏は、”地方公共団体などが、ボランティア活動を安上がりの労働力として活用し、介護現場などでもそれが普通のことになるのではないかと案じる”、と述べられる。

もちろん、野口氏も、災害現場で、「とにかく人手がほしいという切実な要求」は良く分る、といいわれており、急場をしのぐためのボランティア活動の有用性は充分認識しておられる。

その上で、「予算を要しない解決策として、ボランティア活動に依存」することに警鐘を鳴らしておられる。

全く同感である。

私も、神戸震災のときには、若いボランティアの諸君の世話になった。
この事は今でも、忘れていないし、感謝している。

あの時、家内は右腕を包帯でつっていた。

私は、移動には、松葉づえを必要とした。


ボランティアの諸君の献身的な介護がなければ,飢えと寒さをしのぐことはできなかったであろう。この事は、素直に認めたい。

その上でなお、ボランティア活動の在り方に疑問がある。

若い諸君は、その間勉学はどうしていたのであろう。

確かに机の上でする勉強ばかりが勉強ではない、という理屈もあろう。分らないわけでない。

だが、二度と戻らぬ貴重な瞬間を大事にしてほしい、とも思うのだ。

ボランティアはボランティアでしかない。それ以上でも、以下でもない。

まして、仮に「ボランティアをすることで勉学を免れる口実にしている」というようなことがあれば、それは見逃すことが出来ないことだ。

行政も、経費をつけることを惜しんだりせず、ボランティアに頼ることは止めるべきである。

短期的に(せいぜい1週間ぐらい)ボランティア活動に頼ることは、仕方のない面もあろう。

しかし、それも、ほんの短期に限るべきだ。

体制が整えば、本来の行政の役目としての責任を果たすようにすることが求められる。

それをずるずると ボランティア活動に頼ることは、行政の怠慢である。

ほんらい、ボランティア活動は、「ゆとりがあるもの」がすることだ。
だから、無償の行為でもある。 

それを、勉学の成績にしたり、就職の際の有利な条件としたりすることは、やめるべきだ。

ボランティア活動は、定年で退職した様な人にこそふさわしい事である、と思う。

2013-11-07 23:27:56