2014年1月30日木曜日

都知事選を科学する(5)。首相はなぜ「原発の再稼働」を進めるのか。

この発言を見ると、安倍首相は、今後も原発を維持推進していくつもりのようである。
オリンピックの時のプレゼンを考えれば、首相とすれば、当然の事であろう。



何しろ、今後も東電の事故の影響は一切ない、と世界に向けて明言したのであるからだ。

『衆院本会議は二十八日、安倍晋三首相の施政方針演説など政府四演説に対する各党代表質問を行った。安倍首相は原発政策に関し「化石燃料への依存度が第一次石油ショック当時より高くなっている現実を考えると、そう簡単に『原発をもうやめる』と言うわけにいかない」と、再稼働に重ねて意欲を示した。 
 首相は原発輸出も「新興国の原発導入は拡大が見込まれている。より国際的な観点で原子力政策を進める必要がある」と、推進する考えを強調。原発など各エネルギーへの将来の依存割合については「再生エネルギーの導入状況、原発再稼働状況などを見極め、できるだけ早く目標を設定したい」と述べた。東京都知事選で脱原発が焦点になっていることには「さまざまなところで議論されるのは望ましい」と述べた。』( 2014/1/29   注① )
だが、果たしてそうであろうか。
これから先に何も起こらないのであろうか。

何故、そう明言できるのだろうか。
安倍首相は、そんなに聡明で、原子力への知識が高いのであろうか。

だいいちに、「原発が安全である」という事自体が、仮説にすぎない。
そして、その仮説は、東電の事故で、(仮説としては)ダメであることが証明された。

(原発は安全であるという)仮説にすぎないものを、真実であるかの如くに、疑いもせず、推進してきた結果が、東電の福島の原発事故である。

それにもかかわらずどやって、「仮説でさえない」ものを「安全であると、確認すること」が出来るというのであろうか。

規制委が「安全規制である」と承認すれば、それで安全は確保できるのであろうか。

東電の原発事故は、3年たった今も、状況は変わらず、むしろ時間の経過とともに、悪化している。
今もって、汚染水は増え続け、増々高濃度の汚染水が検出されている。
先ごろは310万ベクレルという数値の汚染水が検出されている。

しかも、その原因について、東電は不明としている。

また、原子炉の中の状態も今もって、はっきりとしていない。
もちろん廃炉の目途は一向に立っていない。

そして、今もなおも多くの地域住民が避難を余儀なくされている。
除染も進んではいない。

多くの国民は、放射能汚染の恐怖の中で暮らしている。

今や、東電の事故は、福島やその近辺の住民だけの問題ではない。

海への拡散もさることながら、ガレキ処理を全国に振り当てたことで、日本の多くの街に放射能汚染を拡散する結果になった。

このガレキ焼却を引き受けた地域の住民(だけでなく、隣接する地域の住民も)は、安心して、空気をすうことができないでいる。

それは、過剰な反応であり科学的でない、という批判もある。

では、この批判は、科学的根拠に基づいているか。
そうではあるまい。

もしそうだというのなら、福島の空気を吸い、福島でとれた野菜を食べ、福島で暮らしてみて欲しい。そんなことは出来はしまい。

放射線の基準は、(本当の所は分らないが)最低限の基準として、これを守ろうということであって、絶対的な基準ではないのである。

あくまで、「一応の取り決め」なのである。
「本当の所は何も解らない」、というのが「科学的な答え」である。

もとより、もし本当に安全であるというのなら、わざわざ電力の一大消費地である東京から遠くに離れた所に、原発を建設する必要はないのである。


では、何故「安全が確認された」(そのような事が出来る訳がないのでなるが)原発という言葉を使ってまで、原発を推進しようとするのか。

首相は「化石燃料」を持ち出すが、(ほんとうのところは)そこには、「政治的意図」があると考えるよりほかがない。

ところで、その政治的意図とは何か。
それは「日本の国民の幸福と平和」に寄与するものであるのか、そこが問題である。

もし、本当にそうであるのなら(寄与するということであるのなら)、反対する理由はない。

だが、私は、とてもそうは思えない。
他の要因がある、と思う。

それは、米国の意思である。

安倍首相は、アメリカの政府の反対をはねのけて、「靖国の参拝」を強行したが、それは「目くらまし」にすぎないと思う。

首相が、アメリカの政府のコントロールの下には動いてはいない、ということをアッピールするためのものであった、と考える。

だが、「アーミテージ報告」を読めば分かるように、米国は自国で原発が推進出来ないので、その代りに、韓国や日本にその役目を押し付けようとしている、事は明白である。

そして、世界にそれを拡散しようとしている。
安倍首相が自国の危機をよそに「せっせと原発外交」にいそしんでいるのはそのためである。

「日本を取り戻す」と大見えを張りながら、実際にしていることは「米国のポチ」と言われても致し方に事ばかりである。


安倍首相が、「海外からの化石燃料への依存度が高くなっている現実」だけで、原発の再稼働を容認することは、正しい事なのか。

国民の生命や財産や平和への願いは、お金には換算できないのものである。
今度の東電の事故は、そのことをあらためて証明した。

それでもなおかつ、「アベノミクスを成功させるために」という掛け声のもとに、原発を推進しようとするのなら、「日本を取り戻す」道とはほど遠いものである、としか言いようがない。
(再訂版)    (注① ) 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014012902000113.html