2014年1月8日水曜日

電話、メール時代だからこそ、手紙の価値を見直そう

病気をしたこともあって、このところ、旧友との連絡が途絶えていました。
電話でもいいのですが、少なくない人に一斉に連絡を取るには、手紙が一番です。


メールという手もあるのですが、そのメールの宛先が解らないのです。
幸い年賀状があるので、住所は分ります。

その住所を頼りに、パソコンで打ち込んだ手紙を、一斉に送りました。

やはり、手紙というものは、便利です。
たまに、問題が起きることもありますが、間違いなく、配達されます。住所が違っていれば、戻っても来ます。

行方が分らなくなるということはまず、ありえません。
その点、メールは、届いているのかどうかが、「分らない」ということがあります。

また、電話や、携帯などのメールが普通の事になった現在では、手紙は「貴重」です。
考えてみれば、手紙ほど、手軽にやり取りできるものはないのに、今日では、商業用のメールを除いては、ほとんどやり取りされていないのではないでしょうか。

江戸のころは、━━当然の事ですが、電話がなかったので━━隣同士でも、手紙のやり取りを盛んにしていたようです。
それで、現在においても、江戸のころの様子を知ることが出来る、という訳です。

また、かの「竜馬さん」も、頻繁に姉の「乙女さん」に手紙を書き送っていて、現在もその手紙が残っています。

メールも手紙と同じではないかと言われる方もあるかもしれませんが、私は違うと思うのです。
たとえ、メールを取りだして印刷したところで、「手紙とは似て非なるもの」という気がします。

封筒に入っていて、あて名書きがあって、切手が貼ってあることが重要なのです。もちろん日付があることも、大事な要素です。

形式的のようですが、全体的に、形が整っていることが必要なのです。
メールを取り出してそれを封筒に入れただけでは、誰もそれを手紙とは、思わないのではないでしょうか。

相手の人の文字が、せめて、あて名書きにでも表れていることが必要でしょう。

とにかく、手紙はありがたい。貰うと嬉しいものです。
そして手紙は、いつでも好きな時に、好きなだけ読み返すことが出来ます。電話ではこうはいきません。

受話器を置けば、されキリです。もちろん、何度でもかけ直すことは出来ますが。
通話の内容そのものは、録音でもしない限り、残すことが出来ません。

このような手紙ですが、「手」があっても、「紙」がないと送ることが出来ません。

紙の発明は、中国と言われます。
前2世紀のころの事のようです。

それがヨーロッパに伝わり、上質な紙が出来るようになるとともに、印刷術の発明へとつながっていきました。ご存じの通りです。

紙の発明とともに、墨が作り出されていることがなくては、手紙は書けません。
いくら上質の和紙があっても、墨がなくては書くことが出来ないのも自明の理です。

もちろん筆もいります。

こう考えてくると、手紙を書いて送ることが出来るようになるには、多くの目に見えない人々の苦労や努力があって、初めて出来たこと、であるのが分ります。

電波が縦横無尽に飛び交い、瞬時に情報が伝わる現代ですが、今一度、手紙の価値を見直して
、せめて家族や友人などへの「急ぎでない連絡」は、手紙で取る、ということにされてはどうでしょうか。

そうすれば、その手紙は、受け取った人に取って、「永久の宝物」になる事でしょう。

(参考書)
『世界の歴史 7 近代への序曲 』  中央公論社   旧版(昭和五十年刊55版)

* Book Offなどで手に入ります。私は、一冊100円で、全巻そろえました。
現在の新版と違い、専門的な知識がなくても、十分に読み通すことが出来ます。

(2013-11-01 19:19:29)