2014年1月8日水曜日

私には、隠れた趣味がある、それは「講談」をきくことである

今日は、普段の日程を変更して、朝から外で動いた。
散歩の後、昨日草取りをして乾燥させていたのをゴミに出そうと思って、家に帰らずそのまま
カタズケをしていたら、道路のガードレール沿いに、草が散乱しているのを見つけてしまった。


こうなったら、もうだめだ。
市に依頼された業者の仕業か、「いい加減な仕事をして」と思いつつも、竹ぼうきできれいに掃いた。

たばこの吸い殻、ペットボトルなども一緒に、掃きだして、きれいにした。
後は、風呂あがりのごとくに、さっぱりとした。

私もその昔は、後片付けが十分にできなくて、よく親方に叱られた。
だが、あと片付けは、重要である。

このように草を刈った後を充分に掃除をせずに、草が散乱しているようでは、せっかく草を刈っても、刈ったように思われない。

後をきれいにしてこそ、「ああ、きれいに草を刈ってくれた」となる。

そういうわけで、その後の日程が狂ってしまった。
というより、火が付いた。

今日の午後に予定していた昨日の草刈りの続きを、そのまますることになってしまった。
町内の道路の溝の崖に生えた草を取っていたのである。

町内の道路のフェンス沿いの草をとって、きれいにしたいと思ったわけなのです。
伸びるたびに刈るのは面倒なので、昨年、根元から掘り起こして、おまけに薬までまいたのですが、見事にまた生えてきました。

ほんとに雑草の生命力には驚かされます。
「刈られても、除草剤を撒かれても、土の成分を変えられても」たくましく息を吹き返し、伸びてきます。

そういうわけで、午前中の予定を変更したので、いつものブログの投稿が今になりました。
久しぶりにyoutubeで「講談」を聞きながら、悪い事とは知りつつ、少しビールを飲んだのです。
  ◆           ◆            ◆
私の好みは、広沢虎蔵の「次郎長三国志」です。
これを全巻youtubeに投稿された方があって、それを聞かせていただいています。

以前は図書館でカセットテープを借りてきて聞いていたのですが、これもパソコンを持った効用です。

私が「講談」というものを知ったのは、ラジオで偶然聞いたことが「きっかけ」でした。
それは誰のものかはわからないのですが、「左陣五郎」の話でした。

聞いている内に、まるでその場面が目の前に展開しているかのような錯覚に陥りました。
【いっぺん】で、「講談」に魅せられてしまったのです。

もっともこれはやはり、もう一つの楽しみである「鬼平犯科帳」の影響が大きいとは思いますが。

また、もともと、テレビの時代劇のフアンでした。
「鞍馬天狗」「隠密剣士」「三匹の侍」「月影兵庫」「荒野の素浪人」「大岡越前」「銭形平次」など、よく見ました。

おかげで、勉強のほうがおろそかになりましたが。
とにかく、それで「講談」をよく聞くようになりました。

その頃は、NHKがラジオで、「講談」を流していたのです。
今でも流しているのかも知れませんが。

で、虎蔵の「次郎長三国志」に落ち着いたというわけなのです。
これを聞きながら、一杯やる、というのが仕事の後の、私の夕食のスタイルでした。

これで止まっておけば何の問題もないのですが、そうはいかないのが・・・・。
結局は外に出て飲みなおす、ということになってしまうのです。

それもやはり、「講談」を聞いた影響でしょう。
不思議に「人恋しく」なるのです。

ま、たんに「酔って」いるだけなのかもしれませんが。
   ◆          ◆           ◆
テレビで時代劇が放映されなくなってきたのと同じで、こういう「文化」がさびれていくのは、残念で、寂しいことです。

「古いもの」を単に古いというだけで否定してしまっては、「国の個性」は失われていくばかりのような気がするのですが、IT時代ではそれも無理からぬことなのでしょうか。

テレビで時代劇が放映されなくなり、また、みのもんた氏が息子の不祥事で消えていくような状況では、私がテレビを捨てたのは正解であった、と思います。

世間の動きは、パソコンで十分に解ります。
何よりも、街に出ることで解ります。

もう今の私には、はっきり言って、テレビは「ゴミ」でしかありません。

(2013-10-11  15:57:46)