このブログを書き始めて、この記事で、早くも50回になりました。前回の別のブログの記事を合わせると200回を超えました。
現時点でのトータル数は、訪問して頂いた方1248名,PVは、2379です。
アクセス数だけを目当てに記事を書いているわけではありませんが、やはり、「励み」になります。
反面、「居酒屋談義のつもりで書きます」といったものの、身の引き締まる思いが致します。
このブログを開設したことで、初めて、「読者になって頂いた方々」も出来ました。
望外の喜びです。
100回を目指して、新たな気持ちで、記事を書いていきたいと思います。
◆
さて、記事のタイトルです。
妻には、母と姉があります。妹がありましたが、17才の時に亡くなりました。
私には、両親と、4人の兄弟・姉妹です。
姉には、孫も、多くいます。
他の兄弟にも、それぞれ、家族がいます。
現在の日本においては、家族制度は崩壊した、あるいは崩壊の危機にある、と言われています。
しかし、制度と個々の家族とは違います。
制度が、どうであろうと、家族は家族です。
ですから、制度が調えられようと、個々の家族の問題はなくなりはしません。
「親の死による、遺産相続の事」「跡取りの事」「親戚付き合いの事」「兄弟同士の問題」など、騒動?の種はいくらでもあります。
◆
当然、私も例外ではありません。
本来、「独立した個人」のはずが、「自由に振る舞う」ことが許されない、というような状況が起きてきます。
逆の例ですが、つい最近の「みのさん」の事にも象徴されています。
結局、「息子の起こした事件」で、番組を降板することになりました。
しかも、先ごろ、検察は、その息子を「不起訴」としました。なんということ。
もう、役目が終わり、「用無し」と判断した様です。
みのさんは「息子をそのように育てた責任を取る」と会見で述べた、と伝えられています。
日本の親は「いつまでたっても、その子を育てた責任を取らなければならない」ようです。
もうこれは「無限責任」です。
「永久の十字架」を背負っているのと変わりがありません。
「子供は社会の宝」(有限責任)と言いながら、その一方で、「親にいつまでも育てた責任を取らせる」(無限責任)。
このかい離は、どう整合性をとればいいのでしょうか。
社会(地域・学校・会社・企業・政府・国など)には、責任はないのでしょうか。
これはみのさんが、マスコミ関係者というだけの事として済ますには、「そうは出来ない」問題を含んでいると思います。
彼は「潔く、あえて、身を引いた」ようです。
これで、幕引きを図りました。
「番組の中で話すことについて、外で責任を取ることはない」(国会議員が院外で、言論について、責任をとる必要がないのと同じで)と、私などは考えますが、世間はそうではないようです。
◆
親はそうですが、では子供の立場から見ると、どうなるのでしょうか。
「私は親から、これこれの育てられ方をしたから、責任はない」と言えるのでしょうか。
「連続ピストル射殺事件」というのがあります。
永山則夫が、「社会への復讐」と称して、4人をつぎつぎに、ピストルで、射殺した事件です。
この事件は、「永山基準」なるものを生み出しました。
また、のちに彼は、獄中で本を書き、「文学賞」を取ります。
≪「北海道網走市呼人(よびと)番外地」生まれを、「網走刑務所生まれ」だと誤解」≫されたことで、人生を狂わされた、として、「社会への復讐」をした、というのが事件のあらましです。
読み書きさえ困難でしたが、獄中で猛勉強をし、本を出すまでになります。
最後は、48歳で絞首刑になり、「刑場の露」と消えて、亡くなりました。
親は、子を選ぶことが出来ますが、「子は、親を選んで」生まれる事が出来ません。
「親のありがたみ」を理解してはいても、「育てられ方」ついて、時には、文句を言いたくなることもあります。
「責任」を親にかぶせてしまいたくなることもあります。
この年にして、そうなのですから、若い人は特に、そうでしょう。
しかも、それが「兄弟・姉妹によって相違がある」というときには、なおさらでしょう。
「いつまでも、過去のこと」にこだわって、と言われても、本人は忘れる事が出来ないのです。
いくら、自分に言い聞かせようとしても、何か事があるたびに思い出すのです。
これは、現在特に問題になっている「いじめ」と同じで、いじめられた当人しか、分らないことです。
「いじめた側」はもうとっくの昔に忘れたことでも、「いじめられた方」は、いつまでも心に残るのです。
時どきですが、そのような事件もあるくらいです。
心の傷は、癒えることがありません。
これは、謝罪されてもそうでしょう。
◆
時どき、誰もいない世界に行けたらいいのに、と思うことがあります。
さびしい事であるのは良く分っていますが、世間のしがらみに縛られるよりましだ、と思うのです。
ロビンソン・クルソーのような生活に、憧れます。
勝手な言い分なのかもしれません。
それも承知の上の事です。
本来、人間は矛盾に満ちた存在です。
生きながらも、死んでいます。
人間の体の細胞は、1年でその全てが入れ替わるそうです。
DNAがいれ変わらないのが不思議ですが。
いつまでたっても子供のころのことを持ち出すようでは、いつまで経っても「親の責任を言い立てる人々の考え」と、あまり違いがないのかもしれません。
(追記 少し前のことになりますが、「実は、お前には、もう一人兄弟・姉妹が出来ていたかもしれない」と母に言われたことがあります。 何かの事情で(おおよその事は分りますが)産むのをやめたようです。 母の体調が長い間すぐれなかったのはそのせいかもしれません。言われて初めて分かりました。昔の事、十分な技術がなかったのでしょう。母にも、その知識があったとも思われませんし。もし、産んでいて、その子が、女の子であったなら、あるいは私の人生も、大きく変わったものになっていたかも知れません。)
2013-10-30 03:57:18
現時点でのトータル数は、訪問して頂いた方1248名,PVは、2379です。
アクセス数だけを目当てに記事を書いているわけではありませんが、やはり、「励み」になります。
反面、「居酒屋談義のつもりで書きます」といったものの、身の引き締まる思いが致します。
このブログを開設したことで、初めて、「読者になって頂いた方々」も出来ました。
望外の喜びです。
100回を目指して、新たな気持ちで、記事を書いていきたいと思います。
◆
さて、記事のタイトルです。
妻には、母と姉があります。妹がありましたが、17才の時に亡くなりました。
私には、両親と、4人の兄弟・姉妹です。
姉には、孫も、多くいます。
他の兄弟にも、それぞれ、家族がいます。
現在の日本においては、家族制度は崩壊した、あるいは崩壊の危機にある、と言われています。
しかし、制度と個々の家族とは違います。
制度が、どうであろうと、家族は家族です。
ですから、制度が調えられようと、個々の家族の問題はなくなりはしません。
「親の死による、遺産相続の事」「跡取りの事」「親戚付き合いの事」「兄弟同士の問題」など、騒動?の種はいくらでもあります。
◆
当然、私も例外ではありません。
本来、「独立した個人」のはずが、「自由に振る舞う」ことが許されない、というような状況が起きてきます。
逆の例ですが、つい最近の「みのさん」の事にも象徴されています。
結局、「息子の起こした事件」で、番組を降板することになりました。
しかも、先ごろ、検察は、その息子を「不起訴」としました。なんということ。
もう、役目が終わり、「用無し」と判断した様です。
みのさんは「息子をそのように育てた責任を取る」と会見で述べた、と伝えられています。
日本の親は「いつまでたっても、その子を育てた責任を取らなければならない」ようです。
もうこれは「無限責任」です。
「永久の十字架」を背負っているのと変わりがありません。
「子供は社会の宝」(有限責任)と言いながら、その一方で、「親にいつまでも育てた責任を取らせる」(無限責任)。
このかい離は、どう整合性をとればいいのでしょうか。
社会(地域・学校・会社・企業・政府・国など)には、責任はないのでしょうか。
これはみのさんが、マスコミ関係者というだけの事として済ますには、「そうは出来ない」問題を含んでいると思います。
彼は「潔く、あえて、身を引いた」ようです。
これで、幕引きを図りました。
「番組の中で話すことについて、外で責任を取ることはない」(国会議員が院外で、言論について、責任をとる必要がないのと同じで)と、私などは考えますが、世間はそうではないようです。
◆
親はそうですが、では子供の立場から見ると、どうなるのでしょうか。
「私は親から、これこれの育てられ方をしたから、責任はない」と言えるのでしょうか。
「連続ピストル射殺事件」というのがあります。
永山則夫が、「社会への復讐」と称して、4人をつぎつぎに、ピストルで、射殺した事件です。
この事件は、「永山基準」なるものを生み出しました。
また、のちに彼は、獄中で本を書き、「文学賞」を取ります。
≪「北海道網走市呼人(よびと)番外地」生まれを、「網走刑務所生まれ」だと誤解」≫されたことで、人生を狂わされた、として、「社会への復讐」をした、というのが事件のあらましです。
読み書きさえ困難でしたが、獄中で猛勉強をし、本を出すまでになります。
最後は、48歳で絞首刑になり、「刑場の露」と消えて、亡くなりました。
親は、子を選ぶことが出来ますが、「子は、親を選んで」生まれる事が出来ません。
「親のありがたみ」を理解してはいても、「育てられ方」ついて、時には、文句を言いたくなることもあります。
「責任」を親にかぶせてしまいたくなることもあります。
この年にして、そうなのですから、若い人は特に、そうでしょう。
しかも、それが「兄弟・姉妹によって相違がある」というときには、なおさらでしょう。
「いつまでも、過去のこと」にこだわって、と言われても、本人は忘れる事が出来ないのです。
いくら、自分に言い聞かせようとしても、何か事があるたびに思い出すのです。
これは、現在特に問題になっている「いじめ」と同じで、いじめられた当人しか、分らないことです。
「いじめた側」はもうとっくの昔に忘れたことでも、「いじめられた方」は、いつまでも心に残るのです。
時どきですが、そのような事件もあるくらいです。
心の傷は、癒えることがありません。
これは、謝罪されてもそうでしょう。
◆
時どき、誰もいない世界に行けたらいいのに、と思うことがあります。
さびしい事であるのは良く分っていますが、世間のしがらみに縛られるよりましだ、と思うのです。
ロビンソン・クルソーのような生活に、憧れます。
勝手な言い分なのかもしれません。
それも承知の上の事です。
本来、人間は矛盾に満ちた存在です。
生きながらも、死んでいます。
人間の体の細胞は、1年でその全てが入れ替わるそうです。
DNAがいれ変わらないのが不思議ですが。
いつまでたっても子供のころのことを持ち出すようでは、いつまで経っても「親の責任を言い立てる人々の考え」と、あまり違いがないのかもしれません。
(追記 少し前のことになりますが、「実は、お前には、もう一人兄弟・姉妹が出来ていたかもしれない」と母に言われたことがあります。 何かの事情で(おおよその事は分りますが)産むのをやめたようです。 母の体調が長い間すぐれなかったのはそのせいかもしれません。言われて初めて分かりました。昔の事、十分な技術がなかったのでしょう。母にも、その知識があったとも思われませんし。もし、産んでいて、その子が、女の子であったなら、あるいは私の人生も、大きく変わったものになっていたかも知れません。)
2013-10-30 03:57:18