★23 ・書字が発明されるよりずっとまえから、書くことによるコミニュケ―ションはあった。
・モチェ=インカ帝国以前にペルーに住んでいた人々は、その墳墓で発見された小袋の中に点や線が彫られた豆が入っていた。
この豆を運ぶ人を象った土器の存在、は、豆が伝達手段であったことを物語っている。
・ヨルバ人=ナイジェリアは、
子安貝こやすがい:宝貝)の貝殻でメッシージを送った。
貝殻の数、でその意思を伝えた。
★24~25・最初の文字=人は書く必要があった(出来た)から、書く為のシステムを開発した。
*シュメール人(メソポタミア)=ー3500年
*エジプト人=-3000年
*インダス川流域の人々=-2500年
*クレタ島、ギリシャの人びと=-1800年
*ちゅうごく人=-1400年
*フェニキア人=-1000年
*メキシコのサポテク人とミステク人=-600年
*マヤ人=-250年
*バンツー人、のスワヒリ語=18世紀初頭
*チェロキー語=16世紀までは、めったに書かれることがなかった。
★25~26・書くことの起源には、諸説ある。
その中では、商取引における会計を改善をしようという試みから生まれた、という説が有力である。
・農業⇒商業⇒数学
・話し言葉は、意思疎通の手段、計算は記憶という義務を課し、さらにその上を求める。
・書くことを最初に始めたシュメール人は、交易や経済の拡張に対応するべく計算を発達させた。
・インカ帝国で計算の発達が遅れたのは、彼らが会計に使っていた色分けされた紐結び目「キープ」があまりのも有効だったことによる。だから、「書くというシステム」を生み出す必要がなかったではないか。
・書くとは、もともと線を粗くひくことであった。それが発達して、今の形になった。
・書字、の発明は、名もなき天才の技か。それとも、指導的な役割を果たした集団がいたと考えるのか。これは、歴史家の中でも意見が分かれる。
(※ここは、銭存訓著『中国古代書籍史』を参照もこと)
・ユーフラテス川流域のウルフ・・・ここでシュメール人が<書くこと>を始めたのが、-3300年頃。これは「知識に基ずく推論」である。
ウルフは、「聖書」の「創世記」では「エレク」とされていて、現在のイラク、である。
シュメール人の残した原初の文字は、円やさまざまな形から成っている。
これは、はじめ石に刻まれた。後に粘土板に変わった。筆記具は葦の茎。柔らかい素材に垂直に押し付けると丸い円の後が残り、角度をつけて押し付けると爪のような形の後が残る。
↓
これらは「楔で作られた」という意味のラテン語から「楔形文字」と呼ばれた。
・初期の楔形文字には少なくとも1500種の絵文字や象形文字がある。
が、これは限られた専門家しかこの文字を使えないため、書記官は地域社会のなかで重要な地位を占めた。
↓
やがてこれらは改良され、-300年には約800の「楔型文字」が出来上がった。
これは文字というよりは、音を表す表意文字に近かった。
これは文字の配列により、異なった意味を持つ可能性を示唆している。また、このことは重大な変化、と言える。中国語はなぜか一度もこの段階には達していない。今日でさえ中国の文字のほとんどは音ではなく意(味)を表している。
★28~30・シュメール人は、回転する輪を早くから作っていた。最初は陶器を作るためのろくろ、を、後には運搬用の車輪を発明した。
彼らは灌漑を学び、農耕と商業を発達させた。
征服するか征服されるか、絶え間なく続く戦いは書き言葉の文化を広めた。
彼らはまた、男たちを戦いに送り出すのとは逆に、初めて社会のなかに職業軍人を育成し、奴隷労働を頼りに農業を発達させた。
・楔型文字の表音化はその後のインダス文明やエジプト人文明の書字に影響を与えることになり、シリア、ペルシャをはじめとする多くの地域でも、シュメール人の文化や文字体系の影響がうかがえる。
(2018年10月22日)
・モチェ=インカ帝国以前にペルーに住んでいた人々は、その墳墓で発見された小袋の中に点や線が彫られた豆が入っていた。
この豆を運ぶ人を象った土器の存在、は、豆が伝達手段であったことを物語っている。
・ヨルバ人=ナイジェリアは、
子安貝こやすがい:宝貝)の貝殻でメッシージを送った。
貝殻の数、でその意思を伝えた。
★24~25・最初の文字=人は書く必要があった(出来た)から、書く為のシステムを開発した。
*シュメール人(メソポタミア)=ー3500年
*エジプト人=-3000年
*インダス川流域の人々=-2500年
*クレタ島、ギリシャの人びと=-1800年
*ちゅうごく人=-1400年
*フェニキア人=-1000年
*メキシコのサポテク人とミステク人=-600年
*マヤ人=-250年
*バンツー人、のスワヒリ語=18世紀初頭
*チェロキー語=16世紀までは、めったに書かれることがなかった。
★25~26・書くことの起源には、諸説ある。
その中では、商取引における会計を改善をしようという試みから生まれた、という説が有力である。
・農業⇒商業⇒数学
・話し言葉は、意思疎通の手段、計算は記憶という義務を課し、さらにその上を求める。
・書くことを最初に始めたシュメール人は、交易や経済の拡張に対応するべく計算を発達させた。
・インカ帝国で計算の発達が遅れたのは、彼らが会計に使っていた色分けされた紐結び目「キープ」があまりのも有効だったことによる。だから、「書くというシステム」を生み出す必要がなかったではないか。
・書くとは、もともと線を粗くひくことであった。それが発達して、今の形になった。
・書字、の発明は、名もなき天才の技か。それとも、指導的な役割を果たした集団がいたと考えるのか。これは、歴史家の中でも意見が分かれる。
(※ここは、銭存訓著『中国古代書籍史』を参照もこと)
・ユーフラテス川流域のウルフ・・・ここでシュメール人が<書くこと>を始めたのが、-3300年頃。これは「知識に基ずく推論」である。
ウルフは、「聖書」の「創世記」では「エレク」とされていて、現在のイラク、である。
シュメール人の残した原初の文字は、円やさまざまな形から成っている。
これは、はじめ石に刻まれた。後に粘土板に変わった。筆記具は葦の茎。柔らかい素材に垂直に押し付けると丸い円の後が残り、角度をつけて押し付けると爪のような形の後が残る。
↓
これらは「楔で作られた」という意味のラテン語から「楔形文字」と呼ばれた。
・初期の楔形文字には少なくとも1500種の絵文字や象形文字がある。
が、これは限られた専門家しかこの文字を使えないため、書記官は地域社会のなかで重要な地位を占めた。
↓
やがてこれらは改良され、-300年には約800の「楔型文字」が出来上がった。
これは文字というよりは、音を表す表意文字に近かった。
これは文字の配列により、異なった意味を持つ可能性を示唆している。また、このことは重大な変化、と言える。中国語はなぜか一度もこの段階には達していない。今日でさえ中国の文字のほとんどは音ではなく意(味)を表している。
★28~30・シュメール人は、回転する輪を早くから作っていた。最初は陶器を作るためのろくろ、を、後には運搬用の車輪を発明した。
彼らは灌漑を学び、農耕と商業を発達させた。
征服するか征服されるか、絶え間なく続く戦いは書き言葉の文化を広めた。
彼らはまた、男たちを戦いに送り出すのとは逆に、初めて社会のなかに職業軍人を育成し、奴隷労働を頼りに農業を発達させた。
・楔型文字の表音化はその後のインダス文明やエジプト人文明の書字に影響を与えることになり、シリア、ペルシャをはじめとする多くの地域でも、シュメール人の文化や文字体系の影響がうかがえる。
(2018年10月22日)