2018年10月11日木曜日

「ブッダの感興のことば」 第8章 ことば Ⅲ=他人を害しない、好ましい言葉のみを語れ

<ブッダの感興のことば、第8章 ことば Ⅲ>です。ここでは、ブッダは、他人を害しない、好ましい言葉のみを語れ。真実の言葉のみを語れ、と説いています。


 他人を害しない、好ましいことばのみを語れ

自分を苦しめず、また、他人を害しないようなことばのみを語れ。
これこそ実に善く説かれたことばなのである。(8-12)

好ましいことばのみを語れ。そのことばは人々に歓び迎えられる。
つねに好ましいことばのみを語っているならば、それによって(ひとの)悪(意)を身に受けることがない。(3-13)

真実のことばは不滅であるはずである。実に真実のことばは最上である。
かれらは、真実すなわちことがらと理法の上に安立したことばを語る。(8-14)

 他人を害しないような言葉のみを話すなら、自分をも幸福にする

言葉は、我々人間を動物から区別する唯一の指標である、といっても過言ではないと思います。言葉こそが、人間を人間たらしめているのです。

そうである以上は、その言葉をぞんざいに扱うことは、許されません。たぶん、ブッダはそのことを強調しているのだと、想います。

ブッダが説くように、他人を害しない、ような言葉のみを口にするなら、他人からの誹りを受ける事も無いでしょう。そうすれば、当然に、自分を苦しめることにもならないでしょう。

他人が、自分自身の、好ましいことばのみを語れば、気分は晴れ晴れとするし、したがって、自分で自分を傷つけるというような結果にも、ならないはずです。

 人間は「言葉を話す生き物」

ところで、今読んでいる本(『哲学原理』柏書房)で、トマス・ホッブスは、人間と動物との違いについて、以下のように述べています。

「名辞が一つの観念や概念に対するように、話すことも精神の連続に対する。そして、人間に固有なものとして見られる。というのは、たとえ何らかの動物が、訓練によって教えれて、我々が言葉によって望み命令するものを把握したとしても、動物は、言葉を通して言葉を理解するのではなく、記号を通して言葉を理解するからである。

というのも、言葉が表示の目的のために人間の意志によって構成されたものであるということを、動物は知らないからである。」(669貢)

長くなるので、引用はこの程度にしておきますが、要するに、人間と動物とは、これほどに違うのです。

だから、人間を「言葉をはなす動物」である、という言い方は、誤りです。人間は、動物ではありません。それは、過去の話です。人間は、「言葉を話す生き物」である、というのが、正しい言い方です。

「言葉を話す生き物」として、我々は、その有難味を良く考え、話す言葉をよく吟味して、語る必要がある。私は、このように考えます。

(2018年10月11日)

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