2018年10月9日火曜日

「ブッダの感興のことば」第8章 ことば Ⅰ=悪い言葉を口にするな

<「ブッダの感興のことば」 第8章 「ことば」1 >です。人を害する悪い言葉を発すること、偽りをいう人、が信用されないのは当然です。それどこ
か、ーー悪い言葉であれ、善い言葉であれーー自分が発した言葉は、潜在意識のなかに蓄積され自己を害することになります。

★ 偽りを語る者は、地獄に堕ちる

・いつわりを語る人は地獄に堕ちる。また、この世で自分が言ったのとは異なった行いをなす人も地獄に堕ちる。
この両者は死後にひとしくなると説かれている、--来世ではともに下劣な業をもった人びとなのであるから。(8-1)

・人が生まれるときには、実に口のなかに斧が生じている。ひとは悪口(わるくち)を語って、その斧によって、自分自身を斬るのである。(8-2)

   ・悪い心のある人々は実に嘘を言う。  
   つねに地獄(の苦しみ)を増して、おのれを傷つける。  
   欠点の無い力のある人は、心の混濁を除いて、(すべてを)忍ぶ。(8-6)

      
 「口」と「心」が、一つであること

忠、と言う文字は、「口」と「心」が、一つの棒で繋がれています。つまりは、「言う」ことと、「心の中で想う」こととが同じであることが、「忠」です。

これは、行うことと、言う事に隔たりがない、ということ以上に、大切なことでありましょう。

われわれは、心の中では別のことを想っているのに、それを隠して、まったく正反対の言葉を語る人を信用しません。それどころか、軽蔑します。人間性を疑います。

また、あちらでは「ああ言い」、こちらでは「こう言う」人も、信用がされません。二枚舌、を使うということは、詐欺師と同様に見なします。

★ 言葉は潜在意識のなかに蓄積される

言葉。ある意味においては、どんな武器よりも、「殺傷能力」がある、と言ってよいと想います。まさに、人は、斧を持って産まれて来る生き物、です。

動物は、けっしてそのようなことはありません。自己を守る為に、自己の弱点を補強するために、様々な特徴を有していますが、何もしない相手を攻撃するような強烈な「武器」は、備えていません。

言葉は、便利なものですが、それだけに十分に注意して使う必要があります。言葉は、使い方によっては、相手どころか、自分自身をも、深く傷つけることがあります。

まさに、「自分を斬る」ことになります。

この事に気付いている人々は、不用意に言葉を発することをしません。
知らず知らずのうちに、その言葉が潜在意識のなかに蓄積されて、やがては「悪い結果」を生むことになるのを、自覚しているからでしょう。

このことは、人間哲理を極めた人である、中村天風、が特に、強調していることでもあります。

(2018年10月9日)

0 件のコメント: