2018年10月13日土曜日

「ブッダの感興のことば」 第9章 おこない」Ⅱ 因果律で始終一貫

「ブッダの感興のことば」 第9章 おこない」Ⅱ 。愚かな者は悪行をなしながら、その結果が自分に戻ってくるとは、考えない。しかし・・・因果報恩、です。原因があり、結果を生む」という因果律から逃れることは、出来ません。




愚かな者は(悪いことを)しながら「この報いはわれにはこないであろう」と考える。しかし、来世におもむいて、悪い行いをした人々のいきつくところを知る(9-10)

愚かな者は(悪いことを)しながら「この報いはわれにはこないであろう」と考える。しかし、にちに報いを受ける時に、苦痛が起こる。(9-11)

聡明でない悪人どもは、自分に対して仇敵に対するようにふるまう。
悪い行いをして、苦い果実(このみ)を結ぶ。(9-13)

自分の幸せだけをもとめる人々は、笑いながら悪いことをする。しかし、かれらはのちに苦心で泣きながらその報いを受ける。(9-16)

鉄から起こった錆が、それから起こったのに、鉄自身を食いつくすように、悪をなしたならば、自分の業が静かに気をつけて行動しない人びとを悪いところ(地獄)にみちびく。(9-19)

★ 因果律で始終一貫している

この章は、非常に重要な章であるので、私の解説より・・・。ここは、小室直樹先生に登場して頂くことにします。

因果律を解説して、先生は以下のように述べておられます。

「・・よい人は極楽へ行き、悪い人は地獄へ行く」と教えているではないか。仏教の論理は一貫したものであって、「よい人も偶然に地獄へ行くこともある。悪い人も偶然に極楽へ行くこともある」とは教えてないし、「よい人が極楽へ行く確率は90%、地獄へ行く確率は10%」「悪い人は、その逆である」とも教えていない。(『日本人のための宗教原論』262貢)
 ですから、この場合、「”愚かな者”とは、聡明でない全ての人々を含む」ということになります。その愚かな者が悪い行動をとれば、必ず悪い結果をもたらす。そういうことになります。

そう言う意味で、仏教の因果律は徹底しています。例外を認めていません。親鸞らが言うような「”南無阿弥陀仏”と唱えれば、極楽往生が出来る」などとは、ブッダは説いてはいません。

(2018年10月13日)

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