2018年10月6日土曜日

ブッダの感興のことば」 第5章 愛するもの Ⅱ

<ブッダの感興のことば」 第5章 愛するもの Ⅱ>です。徳行をそなえ、法(のり)にしたがって生き、恥を知り、真実を語れ、と言っています。




・徳行をそなえ、法(のり)にしたがって生き、恥を知り、真実を語り自分のなすべきことを行う人を、世人は好ましいと見なす。(5-24)


・他人に愛される人は、また自分のためにもよいことをするのである。--この世では人々にほめたたえられ、死後には天上に生まれる。(5-25)

・(他人を)訓戒せよ。
教えさとせ。
宜しくないことから(他人を)遠ざけよ。
そうすれば、その人は善人から愛され、悪人からは疎まれる。(5-26)

≪「ブッダの感興のことば」 》



ここでは、ブッダは、「自分のなすべきことを行う人」を、相手として語りかけています。あくでも、行動主体を「自己自身」においています。

自分にとっての他者は、捨象されている。
ブッダの教えは、「個人救済」を目的としているから。

仏教を「集団救済」の宗教と思うのは、勘違いも甚だしい。救済されるかどうかは、本人の修行、善行、悟り、などによる。他人がいくら自分のために、祈り、一心に願ってくれても、「私が救われること」は無い、のです。

そうすると、5-26の句は、どうなるのか。
他人を訓戒せよ。教えさとせ。宜しくないことから、他人を遠ざけよ。こう言っているではないか。という話になるのですが・・・。

これも、よくよく、考えてみれば、その目的は「その人が善人から愛され、悪人からは疎まれる」ようになるためであって、主体は「行為する人、その本人」にあてられています。

やはり、個人救済なのです。



5-24、の句は、今、首相の安倍にこそ聞かせてやりたい言葉ですが、所詮は彼の耳にはーー豚に念仏、でしかないでしょう。

ここで、唐突に政治の話を持ち出す事に違和感を持たれた読者もあると思われますが。

「ブッダの感興のことば」を今日において読むことは、今日の社会状況に引き伸ばして、ブッダの教えを更に一歩前に進めてこそ、その意義がある。

そのように私は思うからです。

(2018年10月6日)

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